2011.8.10日本共産党演説会でのあいさつ(大要)

 

皆さんのおばんでございます。日本共産党の県議会議員、斉藤信でございます。暑い、夜の演説会においでいただき本当にありがとうございます。今日は、被災地の沿岸からも来ていただいております。私自身が元気づけられています。

さて、東日本大震災津波によって延期されていた盛岡市議選の告示まであと10日、県議選の告示まであと22日と迫りました。私は何としても、あの津波で助かった被災者の方々の命とくらしを守るために、被災者の立場に立った救援と復興を前に進めるために何としても勝ち抜かなければならないと決意を新たにしています。盛岡市議団の5人と力を合わせて頑張っています。これまで以上のご支援をいただきますようにどうぞよろしくお願いいたします。

311日の大震災津波の日から5日後、陸前高田市に入りました。竹駒町に入った途端にがれきの山でした。真っ先に約1000人が避難している高田一中の被災者をお見舞いしました。70代、80代のお年寄りが「住民の避難のために頑張った若い人たちがなくなったことが残念だ」と何度も話し、「大東亜戦争のときに、学徒動員で三菱造船に行き、空襲を受けたが、今回の津波はその時よりも怖かった」という言葉が胸を打ちました。

4階まで津波が押し寄せた県立高田病院の医師、看護師さんなどが避難先の米崎コミニュティセンターで臨時診療所を開設していると聞いて訪問しました。石木院長はじめ職員の方々は、津波当日の白衣そのままの姿で診療に当たられていました。地震からわずか30分、津波が堤防を越えてから数十秒で津波が押し寄せたとのことですが、医師・職員が患者さんを屋上に避難させ、翌日の夕方ヘリコプターで救助されるまで、立ちっぱなしで患者を守ったとのことです。そして、避難先に被災者の患者が押し寄せ、不眠不休で取り組んでおられました。この時には、院長先生も副院長の奥さんも行方不明でした。多くの看護師・職員も家族に犠牲者がいました。71日に再び、県立高田病院の石木院長を訪ねました。

6月には市内4カ所で医療懇談会を開き、住民から要望を聞き、入院ができる高田病院の再建への要望を受け、日本一の病院に再建すると話したそうです。NHKのテレビでも紹介されましたが、訪問診療にも取り組んでいます。「早く病院を再建したい」、「仮設診療所にも入院ベットが必要だ」「入院ベットが必要ないというなら、私はすぐにでもやめます」という強い言葉でした。

私は、今開かれている臨時県議会で、達増知事に対して、なぜ、県立病院の再建整備を行わないのか厳しく問い正しましたが、答えはありませんでした。市役所、病院、学校の再建は、被災地の復興とまちづくりの柱です。病院の早期の再建こそ、被災者を励まし、勇気と希望を与えるのではないでしょうか。達増民主党県政は、大震災の前から県立病院の無床診療所化と民間移管を進めてきました。大震災を口実に被災地での県立病院の縮小統廃合を絶対許してはならない。皆さんと力を合わせて頑張りたいと思います。この議席をなんとしても守り抜かせてください。

達増知事が大震災の対応として真っ先に打ち出したのが、三陸縦貫自動車道など高速道路の整備でした。私も必要性を否定はしませんが、直ちに行うべきは、被災者の生活再建であり、毎日の生活欠かせない破壊された国道や鉄道、三鉄の復旧ではないでしょうか。三鉄の復旧に110億円、高速道路の無料化2カ月分でできます。鉄道の復旧には1000億円かかるといいます。従来型の大型開発優先ではなく、被災地の復興とまちづくりを優先すべきです。

漁業と水産業が壊滅的な被害を受けました。船も養殖施設も漁港と一場も水産加工場も破壊されました。しかし、漁協がいち早く立ち上がりました。「おれたちには漁業しかない」「豊かな海でこそ漁民は頑張れる」と漁協の組合長が「漁民には借金させない。漁協が船を確保するから13人、4人で漁業を守ろう」と訴えました。この訴えに8割、9割の漁民が答え、すべての漁協に広がり、県漁連全体の取り組みとなりました。国や宮城県の漁協の集約や・大企業の参入という方向ではなく、漁協を核とした漁業の再建、すべての漁港の再建の道を開いたのは、漁民自身のたたかいでした。志位委員長や市田書記局長も岩手の調査に入り、県漁連の大井会長と懇談しましたが、心の通う懇談でした。今日のメッセージに示されています。

福島原発事故が岩手の農業・畜産を危機に直面させています。子どもたちやお母さんたちが放射能汚染を心配しています。放射能汚染の情報も知らせない、対策も講じない国の責任は重大です。同時に、全頭検査にしてもコメの放射能調査にしても県の対応は遅く、極めて不十分なものでした。すべての学校、保育園等で放射線量の調査を行うとやっと決めましたが遅すぎます。私が昨日の本会議でこのことを指摘したら、知事が切れて1時間も県議会が休会となりました。切れている場合ではないのです。農家の痛みと不安に心寄せて機敏に、全身全霊を傾けて対策を取ることこそ必要ではないでしょうか。

福島原発事故が示したことは、安全性の確立していない危険な原発は、人間とも農業とも共存できないということではないでしょうか。原発からのすみやかな撤退を決断し、自然エネルギーの本格的な導入に転換を図るべきです。

葛巻町は、風力、太陽光、バイオマスなどの自然エネルギーの活用で電力自給率160%を達成し、日本一の新エネルギーの町として全国から視察が相次いでいます。あまりの多いのでまちでは視察料金を取って丁寧に案内し、地元の宿泊所に泊めるようにしているそうです。年間の観光客は40万になっています。岩手県全体が日本一の新エネルギー活用の先進地となるよう県政の流れを変えようではありませんか。

ところが、県議会では、「原発に依存しない安全なエネルギー政策の促進を」という、いわて生協などの請願を民主党、自民党が採決そのものに反対し否決してしまいました。「原発からのすみやかな撤退と自然エネルギーの本格的な導入を求める」請願も同様です。原発にあくまで固執する民主党、自民党の実態を県民に明らかにして、原発からの撤退めざし頑張りましょう。

最後に、私は東日本大震災津波の救援復興の取り組みを通じて、住民の絆と連帯、日本共産党の献身的なボランティア活動に心を打たれています。自己責任の冷たい社会ではなく助け合う絆と連帯感にあふれた復興を、政治の実現をなんとしても実現しなければと決意しています。大阪や長野など全国の日本共産党の党員が、県内だけでも延べ3000人が毎日沿岸被災地に駆けつけ、仮設住宅を訪問し、支援物資を届けています。こうした救援活動を通して若者も、被災者も続々と日本共産党に加わっていることは新しい希望です。

救援復興の取り組みは緒に就いたばかりです。これからが本番です。被災者・被災地と心ひとつに頑張るかけがえのない議席をなんとしても守り抜かせてください。日本共産党の議席を一関でも奥州でも勝ち抜かせてください。そして県都盛岡で、市民の暮らしを守る5人の市議団を勝ち抜かせてください。皆さんとともに頑張り抜きます。どうぞよろしくお願いいたします。