《2011年3月30〜31日》
宮古市、岩泉町、田野畑村、普代村、野田村、久慈市、洋野町を訪問
党中央委員会からの義援金を届け、国・県への要望を聞く
3月30日朝7時、西山県常任委員・災害対策本部事務局長と盛岡市を出発し宮古市に向かいました。9時半に宮古市議団(田中尚、落合久三、崎尾誠)とともに山本正徳宮古市長を訪問し、党中央委員会からの義援金を渡し、国・県への要望を聞きました。
山本市長は、ガレキの処理や復興対策について国家的なプロジェクトで人的・財政的支援が必要と述べ、県に対しては人的支援を求めました。防災の相互協定を結んでいる八幡平市や姉妹都市である青森県黒石市からは物資の支援とともに人的支援を受けていると述べました。八幡平市は安比グランドホテルで70人の一時避難受け入れを準備、盛岡市には15人の要介護者の受け入れを行っていただいているとのことでした。宮古市内では国民休暇村とグリーンピア三陸みやこも一時避難施設に認められたとのことです。
漁業の再建を国家的事業で、船と漁具・魚市場、水産施設の一体的な復興を
重茂漁協は50隻の船確保し再建へ
漁業の再建では、重茂漁協が760の船が14しか残らなかったが、漁協が50隻のサッパ船を確保し共同で取り組もうとしていると述べました。漁業は壊滅的打撃を受けましたが、漁業の再建には船と漁具、漁港と魚市場、水産施設の再建が一体的に必要です。国家的なプロジェクトで取り組む必要があります。
また、まちづくりの復興のために県から技師の派遣を強く求めていました。
グリーンピア三陸みやこの避難場所訪問
通学用のバス、仮設住宅、仕事の確保を
450人が避難生活をしている田老地区のグリーンピア三陸みやこを訪問し、専務理事の赤沼正清氏から津波以降の状況を聞きました。津波当日は約800人が避難してきた。3日間は停電、連絡も取れない中グリーンピアの備蓄で対応した。3日間がピンチだった。3階には田老診療所が移設し、一時避難施設用には約300人分の部屋を活用するとのこと。
避難されている方から話を聞きました。希望者は入居できる仮設住宅の建設、仕事・パートでもほしい、高校生からは通学のためのバスの運行と弁当をなどの要望が出されました。田老地区はグリーンピアに避難所を集約する方向です。また、仮設住宅も建設されます。
津波訓練で被害最小に、復興は地元の力で
岩泉伊達町長が強調
11時半に岩泉町の伊達勝身町長を訪問し義援金を届けました。伊達町長は、死者3人、行方不明者は9人となったのは津波訓練の成果によるものと強調。津波は小本川の水門を超えたが津波の被害を抑える役割を果たしたと述べました。町独自にがれきの処理にも取り組んできた。今後県代行でがれきの処理が取り組まれるがぜひ地元の業者を活用するようにしてほしい要望されました。
漁業の再建のためには、漁港の改修を行うとともに、漁具はリース活用できるようにして、漁民の力を集めて再建に取り組みたいと述べていました。仮設住宅は140戸要望し、86戸の整備が進められる計画です。町では復興対策費を計上し生活再建を重点に、被災者の自立を手助けしたいと述べました。
500隻の船が被害、国をあげて漁業の再建を
田野畑上机村長、避難者から聞く
午後、田野畑村で壊滅的な被害を受けた漁村・漁港である島の越の被害状況を見てから中村勝明村議と合流し、上机莞治村長を訪問、義援金を届け被災状況と国・県への要望を聞きました。上机村長は、20メートルを超える津波だった。漁村・漁港は壊滅的な被害だが、火災がなかったこと、保育園や小中の犠牲者がなかったことは幸いだった。漁業では500隻の船が被害を受け、漁具も壊滅、漁業者だけでは再建できない。このままでは漁業をやめる人が多く出る。国をあげた漁業の再建策を要望したいと述べました。サッパ船観光も立ち上げたいと語っていました。ホテル羅賀荘には100人の観光客がいたそうですがバスで避難、職員も全員無事だったとのこと。しかしホテルは大きな被害を受け100人の従業員は解雇となったとのこと。国・県への要望では、@仮設住宅の建設・195戸要望、A国の全面的な支援による漁業の復興、B復興事業への職員の派遣を求めました。C三鉄が不通となっているときに、高校生・病院への通学・通園バスも要望されました。村では、がれきの処理などの就労事業を実施し、国交省から100人分の作業着、ヘルメット、長靴等を確保したとのことです。
村の交流施設であるアズビーと和野公民館に避難している方からも話を聞きました。漁港の復活、被災者への生活補償、仮設住宅の確保などが要望されました。
防潮堤と水門が町と学校を守った
漁業・水産業の復興を―普代村深渡村長
午後3時に普代村役場で橋上久慈地区委員長と合流。普代村の深渡宏村長を訪ね、義援金を渡すとともに被災状況と国・県への要望を聞きました。死者6人、行方不明者8人となっているが太田名部の防潮堤(高さ15.5m)と普代水門(高さ15.5m)を乗り越える津波だ立ったが小学校や中学校、町並みが守られたと述べました。要望としては@漁業の被害が大きい。定置網もやられ、漁民の生活費もない。漁業・水産業の復興を求めたい。A三陸鉄道の復旧、普代・久慈間はすぐにでもやってもらいたい。B失業対策・緊急雇用事業の実施を求めました。普代村の広報3月号は平成の大津波特集で作成されていました。
野田村小田村長に義援金渡す
行方不明者ゼロに、仮設住宅建設対策を検討中
午後4時、宇部武典野田村議と合流し小田祐士村長に義援金を渡しました。小田村長はちょうど仮設住宅建設の対策会議の最中で、わざわざ会議を中座して対応していただきました。津波の浸水被害を受けた庁舎も清掃されていて、前回訪問した時と比べてかなりきれいになっていました。小田村長は、行方不明者がゼロになった。これから第二ステージになる。仮設住宅を早急に建設したいと強調しました。
漁業・中小企業の再建・復興対策を
久慈山内市長から被災状況と要望聞く
午後5時、山内隆文久慈市長を訪問し党中央の義援金を渡すとともに被災状況と国・県への要望を聞きました。山内市長は、現段階で104億円の被害、うち水産被害が81億円に及ぶ、小型漁船は520隻のうち93%が被災、漁協の施設も被害を受けたと述べました。国が復興院をつくって対応すべきと述べ、@撤去費用などマイナスの費用負担を国の責任で実施すること、A中小企業に対する再投資への資金・負債対策への国の支援策、B失われた利益の補てんなどの対策を求めました。また、交流のための施設や類似公民館などの復興支援の対象にしてもらいたいと要望。低地を設置しようとしたがつかなかった。湾の調査と海区調整の検討も求めました。
町独自に中小企業に無利子・5年据え置きの融資実施へ
洋野町水上町長から対応策を聞く
30日は久慈市に泊り、31日朝8時ホテルを出発し洋野町に向かいました。八木地区の八戸線の鉄橋が破壊されている現場を見て9時前に洋野町役場に到着し久慈裕子町議と合流。水上信宏町長を訪問しました。水上町長は県議時代の同期で旧知の中。早速洋野町の被災状況について聞きました。町長室からは眼下に海と堤防が見えます。役場前の約10メートルの防潮堤の2〜3メートルまで津波が迫ってきたが、防潮堤で役場や町が守られたとのこと。堤防内の漁港や栽培漁業施設は被災したとのことでした。30億円を超える被害で、とくに漁船は150隻中87隻が被災。41隻は沖合に避難して無事だったとのこと。町の対策として、中小企業に対する町独自の融資を実施する予定、5年据え置き、無利子の融資を早急に実施したいと述べました。被害を受けた中小企業関連で100人ぐらいの解雇が出そうと雇用対策にもふれました。大槌町には職員を派遣したい。避難者には民間住宅の借り上げと町営住宅の改修で対応しているとのことです。仮設住宅は4戸要望しています。
県が18000戸の仮設住宅建設へ、5600戸の用地確保
集落単位に、集会所やケア付き住宅も必要
430キロを走り抜き12時過ぎ盛岡に到着、午後早速県庁各課を訪問し、菅野総務部長、平井県土整備部長らから県の対策の状況を聞きました。仮設住宅については当初8800戸としていた計画を18000戸に修正し整備するとし、5600戸の用地を確保しているとのこと。仮設住宅の建設は被災者の最も強い要望の一つです。18000戸の整備となれば希望者全員が入居できる見通しも出てきます。用地・資材の確保などの課題はありますが早急に建設すべきと提案してきたことが実現に大きく前進しました。今後は、集落単位に地元にできるだけ近い場所に建設すること。規模が大きくなるときには集会所(ふれあいセンター)やケア付き住宅などを設置するなど集落の共同が守られるようにすべきです。
《2011年3月29日》
岩手県議会議員連絡本部会議(第1回)開かれる
救援活動を交流し、県に提言も
3月29日、東北地方太平洋沖地震災害岩手県議会議員連絡本部会議(第1回)が開かれました。連絡本部会議は、2月県議会で特別委員会が設置されなかったことから任意の組織として設置されたものです。議長・副議長による被災地調査報告の後、予算調整課長から県災害対策本部の対応状況について報告がなされました。
その後、被災地の県議会議員から、水産業の復興対策、ガレキの処理問題、仮設住宅、雇用促進住宅の活用問題がそれぞれ提起されました。自らの会社と家族が被災した大槌町の岩崎議員は、「30か所の避難所を回っているが、ガソリンスタンドが壊滅し、緊急車両を含め深刻な燃料不足となっている。大槌町は仮設住宅2000戸の計画だが500戸しか許可が下りておらず、先が見えない状況だ」「電気も20%にとどまり、あと半月かかる。ライフラインの確立が引き続き重要」「子どものケア、カウンセラーの配置が必要」と発言しました。
二次被害を絶対出さない対策
希望者全員が入居できる仮設住宅の建設を
斉藤県議からは、この間の現地調査で出された切実な被災者の要求と課題について提起しました。第一に、ガソリン・灯油などの燃料は依然として不足しており、救援活動にとっても被災者の生活にとっても緊急課題となっていること。第二に、避難者、被災者の二次被害を出さない対策を講じること。とくに、避難者にはあったかい食料とともに入浴と洗濯のサービスが求められていること。内陸部への一時避難については地元との交流を確保するなど丁寧な対策を講じること。在宅難民ともいうべき事態への対応を求めました。また、医療支援チームは全国等から50チームが入っていますが1カ月までのところもあり、今後の医療支援の継続を求めました。
避難者の最も強い要望は、仮設住宅への入居です。県は8800戸を国に要望していますが、現地調査では被災市町村から約20000戸の要望が出されています。希望者全員が入居できる仮設住宅の建設を県がはっきりと示し、今後の見通しを明らかにするよう求めました。集落単位の仮設住宅、ケア付き仮設住宅も必要です。また、雇用促進住宅は約2000戸活用できます。すぐ入居できる戸数が231戸あり、県市町村営住宅とともに活用できるように提起しました。
《2011年3月29日》
長野県日本共産党諏訪地区委員会から支援物資届く
リンゴ、衣類、灯油、布団、毛布などトラックいっぱいに
3月29日午前9時半、長野県の日本共産党諏訪地区委員会からリンゴ、衣類、灯油などをトラックいっぱいに積んだ支援物資が届けられました。700キロの道のりを休まず中央高速から東北道へ高速道路を乗りついでの支援です。届けてくれたのは茅野市議会議員の望月かつじさんと諏訪市委員会の井上のぼるさんの二人。お礼を述べ大震災の被害状況と救援の取り組みを説明しました。
その後、木曽町の田中克己町長のお見舞いを中里長門前陸前高田市長に届けるため、疲れを見せず向かいました。
《2011年3月28日》
谷藤盛岡市長に党中央委員会の義援金届ける
被災自治体への支援と盛岡市への避難者への支援に
3月28日、盛岡市議会の最終本会議が終了した直後の5時半に、谷藤裕明盛岡市長を訪ね、党中央委員会からの義援金300万円の目録を渡しました。これには庄子春治、鈴木礼子、高橋和夫、神部伸也、鈴木努の5人の市議団も同席しました。
私から、被災自治体への市職員の派遣や支援物資の搬送、被災地からの一時避難者の受け入れなどの取り組みに敬意を表し、戦後最悪の大震災の被害となっていることから、さらなる支援の強化を要請しました。谷藤市長は、自ら受け入れに立ち会うとともに一時避難者を受け入れた愛真館には保健師など市職員を派遣していると述べ温かい支援を行っていると述べました。私からは紫波町の取り組みも紹介し、避難者の地元の情報を機敏に提供するとともに一時帰還の支援も要請しました。
《2011年3月27日》
紫波町、盛岡市の避難所を訪問
紫波町もボランティアも活躍
3月27日、紫波町議の村上充、細川恵一両町議、西山剛県常任委員・災害対策本部事務局長とともに、大槌町から避難している志和生活会館の避難所を訪問し、青森県委員会から寄せられたリンゴ2箱を届けるとともに、避難者の世話役の中村さんと平野さんから話を聞きました。
紫波町への避難のいきさつは、子ども会の交流があったことです。夏は紫波町から大槌町吉里吉里に海浜学校へ、そして大槌町から紫波町へ林間学校への交流が契機になったとのこと。77人の方が避難されています。紫波町に避難されたのは3月19日、その間の9日間は食料も電気もない状況で体育館やお寺などに避難していたとのこと。平野さんは、昭和8年の津波をふまえ比較的高台につくられた住宅に住んでいたが、今回の津波で流された。「津波が見えたらすぐ来た」と話していました。志和生活会館の避難所は、温かくボランティアの支援も多く、近くの温泉ラ・フランスにも入れて大変助かっていると何度も感謝していました。洗濯機も3台あり交代しながら使っているが、今朝の寒さでホースが凍ったと言っていました。志和生活会館のホールを二つに区切り、片方はテーブルと椅子の食堂兼談話室、片方は段ボールで区切った避難所となっていました。体調を崩したお年寄りや乳幼児の家族は2階の部屋で休まれています。
水・ガス・電気の復旧を
地元に戻り仮設住宅に入りたい
今後の要望を聞きました。「水・ガス・電気の復旧で暮らせるようにしてほしい」「地元に戻り仮設住宅に入りたい」と訴えられました。仮設住宅には20世帯が申し込みをしているとのこと。また紫波町の配慮で29日には大槌町の地元に戻る予定で、吉里吉里小学校の卒業式が行われるそうです。
看護師のボランティアが健康相談
地域の方々が炊き出し
緑のジャンバー姿の紫波町の社協の方々が入り口で対応するとともに、地域の方々が野菜などを持ちよりあったかい食事の提供に奮闘。県立病院OBの看護師さんが声を掛け合い2人1組で健康相談を行っていました。午後4時から8時過ぎまでは紫波町の保健師さんが駆け付けています。
「地元と結び付いた避難所に」、「地域の方々に支えられる避難所に」という思いが伝わってきました。
紫波町災害対策本部を訪問、大槌町に職員派遣
紫波町の個人宅への避難117人
日曜日の夕方でしたが紫波町の災害対策本部を訪問し激励するとともに紫波町の取り組みを聞きました。志和生活会館への避難者77人とともに、紫波町内の個人宅に避難している方が確認されているだけで117人に及ぶとのこと。紫波町として27日から大槌町に職員1人、3泊4日で派遣した。山田町にも4月から2人を3泊4日で2ラウンド派遣する予定とのことです。紫波町では住民通しの交流のある大槌町の避難所を訪問し状況も把握、今後は大槌町への支援を強めたいと語っていました。
村上町議の話では、大型バスを6台持つ地元の運送会社が予約をすべてキャンセルされたとのこと。大震災の影響はない陸にも広がっています。
盛岡市のふれあいランドの避難所訪問
3つの部屋・ホールなどに112人が避難
庄子春治市議とともに盛岡市にあるふれあいランドの避難所を訪問し、青森県委員会から送られたリンゴ2箱を届けお見舞いしました。ふれあいランドの館長から状況を聞きました。当初は避難場所に指定されていなかったが、日赤病院に運ばれた患者が退院し津波当日の11日には30人がふれあいランドに避難してきたとのこと。その後、13日に盛岡市が避難場所に指定し、体制も作られました。現在112人が避難。和室には高齢者や乳幼児、ホールと体育館に約40人ずつ避難生活をしているとのことです。社協の皆さん、ボランティア、ふれあいランド友の会、地域の皆さんが支援していました。
《2011年3月24日》
久慈市、野田村、田野畑村の被災状況を調査
仮設住宅を急いで、復興支援の財政的措置を
3月24日、早朝からガソリンスタンドに並びガソリンを確保して、午前10時に県委員会顧問の宮脇善雄氏と久慈市に向かいました。12時過ぎに久慈市役所に到着し小野寺勝也、城内仲悦両市議と橋上辰夫地区委員長と合流し、末崎順一久慈市副市長にお見舞いを申し上げ被災状況について聞きました。
久慈市を襲った津波は10メートルの堤防を大きく超えたという声も聞こえるような規模で、第3波が大きかったと述べました。久慈市は死者3名、行方不明2人となっていますが、全壊家屋188軒(住家41件)、半壊65軒(31軒)で合計253軒(72軒)、床上浸水398軒、床下浸水は195軒となっています。漁業の被害も大きく全体で100億円を超える被害になりそうです。また、甚大な被害を受けた野田村への支援基地として全国から駆け付けている自衛隊や消防が活動しています。久慈市からも職員の応援も行う予定と聞きました。末崎副市長は、行政の総力挙げて、党派を超えて救援・復興の取り組みが必要で市議会議員選挙をやれる状況ではないと述べました。
仮設住宅は50戸要望しているが用地(水産高校、長内中学校)も確保しており急いで建設してほしいと要望されました。石油備蓄基地は管理棟が破壊され油も流出したようですが、津波で流された様だとのこと。誘致企業である北日本造船は壊滅的な被害を受けたとのこと。操業再開の意向で、ガレキ等の撤去費用、再投資のための融資等の支援も必要ではないかと述べられました。
12メートルの防波堤が破壊され住家のみ込む
小田野田村長に被災状況と要望を聞く
午後2時に、自ら被災した宇部武典野田村議と合流し野田村役場を訪問。小田祐士野田村長にお見舞いを申し上げ、被災状況について聞きました。小田村長は、12メートルにかさ上げした堤防と防潮林が破壊され住宅がのみ込まれた。役場の2階からみる光景は防波堤と防潮林で見えないはずの海が見え、国道45号線から役場までの間に密集していた住宅が根こそぎのみ込まれて原野のようになっていました。野田村長は15メートルの堤防が必要で、そうしなければ家を建てられないと話しました。仮設住宅については200戸要望しているが、すでに170以上の希望が出されているとのこと。集落ごとの小規模の仮設住宅の建設が必要と訴えられました。ガソリン・灯油はまだ不足しており、下水道、NTTの通信がまだ回復していないとのことです。
役場裏の避難所となっているお寺・海蔵院を訪ね避難している方々から要望を聞きました。津波当時は120人避難していたが、現在70人程度とのこと。お寺の部屋にぎっしりと避難している状況ですが、国民宿舎えぼし荘への入浴サービスが行われていました。畳の部屋で、ストーブにも火が付いていました。今一番必要なことは何かと聞いたら、「先の見通しが見えないことが一番の心配」「衣類等の支援もあるが洗濯ができない、洗濯機がほしい」「近くの仮設住宅に早く入りたい」等の要望が出されました。
漁村・三陸鉄道が壊滅的な被害受ける
田野畑村副村長に聞く
午後4時、田野畑村役場を訪問。お見舞いを申し上げた後で工藤正勝副村長から被災の状況について聞きました。平井賀、島の越、机浜など各漁村の壊滅的な被害の状況をカラー写真で詳しく聞きました。全壊209戸、半壊29戸、一部損壊18戸という被害状況です。仮設住宅は190戸要望しているとのこと。漁業と漁港の再建への財政援助、ガレキの撤去への支援の要望が出されました。
その後、平井賀の被害状況を調査。漁村の住宅は跡形もなく、三陸鉄道のカンパネルラ田野畑の駅は駅舎だけがぽつんと残っている状況でした。高台にある家だけが残っていました。
帰りは岩泉町を通ってきましたが、平庭トンネルを超えると雪化粧の冬景色、避難されている方々の厳しい寒さを感じさせる帰り道でした。
《2011年3月22日》
ガソリン難民、在宅難民など新たな課題も
釜石市、大槌町、山田町を菅原則勝委員長と調査
3月22日、菅原則勝委員長とともに中里隼一君が運転する車で朝7時に出発し釜石へ向かいました。9時半に東部地区委員会に到着し、深澤地区委員長、菊池孝、坂本良子両市議と打ち合わせ、現地の状況を聞いて釜石市の災害対策本部に向かいました。野田武則市長と佐々木副市長から被災の状況と要望を聞きました。22日現在、死者545人、行方不明者630人、避難者が66カ所に5996人で、「家が残ったが買い物にも行けず食料が届かない在宅難民の対策が必要。また、死亡者について身元が確認された人は市が責任を持って秋田県や青森県などの協力も受け火葬しているが、不明者は腐敗が進み土葬が必要になっている」と述べました。災害対策本部への相談の8割以上がガソリン不足の相談とのこと。市内5カ所のガソリンスタンドがオープンしたが朝5時には5〜6キロの渋滞が生じている実態も訴えられました。届いているガソリンはどこに行っているのか。
仮設住宅については5000戸を要望、今週から申し込みを受け付け100戸着工の予定。廃校となった校舎・校庭が10校あり場所確保は大丈夫とのことです。
津波にのみ込まれたが屋根に乗り生き残る
「おしんこ・梅干がほしい」
釜石市内中心部、商店街の被災状況を見て回りました。流された車が至る所で家屋にのめり込んでいます。商店街は壊滅です。その後、250人が避難生活をしている旧釜石一中の避難場所を訪ねました。高齢者のご夫婦から話を聞きました。市役所の近くに住んでいた方でしたが、「地震の後すぐ3メートルの津波が来た。ご夫婦とも津波にのみ込まれながら、手をつなぎあって屋根に上り、流されながら隣の2階の家に逃げ込んで助かった」とのこと。奥様が足を骨折していました。食料や衣類などの物資は届けられてきていますが、衣類は2点まで、食料はおにぎりとパン、みそ汁(インスタント)は週2回程度とのこと。何か必要なものはと聞いたら「おしんこと梅干しがほしい」とのことです。
奥深く壊滅した鵜住居地区
栗林小学校の避難所を訪問
鵜住居地区に入ると町は壊滅していました。津波の勢いは三陸縦貫道の下を超えて奥深くまでその爪痕を残していました。避難生活をしている方々が「東日本大震災被害者の生活再建をめざす釜石の会」を立ち上げ、その要求をまとめて野田市長に要望書を提出したとの話を聞いて、その栗林小学校の避難場所を訪問しました。野田市長への要望は、@被災者全員(全世帯)の住む家の確保、A災害見舞金、生活資金の支給、B緊急失業対策事業、失業手当の支給、D通勤手段、車購入資金の助成など8項目です。被災者自身の生活再建の取り組みが始まっていることに励まされました。
津波と火災で壊滅した大槌町に入る
力を合わせ避難生活、今日から自衛隊の風呂に入浴
鵜住居から大槌町に入りました。津波と火災によって戦争直後を思わせる壊滅ぶりです。災害対策本部のある城山中央公民館に到着し、体育館で避難している方々から話を聞きました。120人が避難生活をしている体育館では三浦勝雄さんが責任者を務めていました。津波から3日間は山火事で大変だったとのこと。避難所にはたくさんの物資が届いていました。今日から自衛隊が設置した風呂に入浴できるようになったとのこと。10班編成で高齢者から入浴できるように準備されていました。2日間野宿し孤立していたが救出された方もいました。避難所では10班編成でラジオ体操やトイレの掃除など規律正しい運営がされていました。小学校の先生も避難しており朝7時半のラジオ体操はピアノの生演奏だとのこと。避難生活をしている中学生1人の卒業式も行われたと話していました。
東梅副町長から被災状況を聞く
灯油・ガソリン・軽油が必要、仮設住宅も
災害対策本部を訪問し、東梅政昭副町長(本部長)にお見舞いを申し上げ被災状況を聞きました。東梅副町長は、灯油・ガソリン・軽油が第一に必要と訴えました。自宅に避難されている方々も寒い思いをしている、在宅難民の状況だ。町内には吉里吉里に1カ所しかガソリンスタンドが残っていない。住民が動けない状況だ。仮設住宅が必要だが平坦地は津波にやられて適地がない。大槌小学校、北小学校、吉里吉里多目的グラウンド、赤浜小学校に仮設住宅を建設したいが歯ぎしりしている、規制緩和を求めたいと強く要望されました。東梅副町長は、職員も35人が犠牲となっており退職予定者も再任用し、災害復興室を立ち上げたいと復興への決意を語りました。電気はまだ発電機で供給、電話も水道も復旧していません。
山田町長から被害状況を聞く
ガソリン・灯油・軽油は自転車操業
山田町の状況も中心部が壊滅的な状況で火事にも見舞われています。佐藤照彦町議と町役場で合流し、沼崎喜一山田町長、佐藤勝一副町長を訪ねお見舞いをするとともに被災状況について聞きました。全世帯の半分が被災したとのこと。沼崎町長の家も51年前のチリ地震津波に続いて流されたとのこと。仮設住宅は3000戸要望しているが、すでに1300戸の要望が出されている。早急に必要な課題については、ガソリン・灯油・軽油が必要と強調。ストーブも発電機も自転車操業の状況で先の見通しが立ってないと訴えられました。山田町に届くはずの油が福島県に回ったとの話も聞きました。ガソリンスタンドは町の南に2カ所、北に1カ所しかない。住民への供給に支障をきたしているとのことです。また、食料は入ってきているが野菜不足・肉もないとのこと。避難所の避難者数とともに食料が必要な住民の人数も把握され対応されつつありました。避難者数は4398人、食が必要な住民は1492人で合計5890人となっています。在宅で避難されている方、特に高齢者で動けない方々に食料が届いておらず、町内会ごとの対策が必要とのことです。
遺体の処理については町営の火葬は1日5〜6体しか対応できず、軽米町、九戸村、二戸市、矢巾町、葛巻町にもお願いしているとのことです。
漁業の壊滅的な被害ですが、漁業を再建するには船、いかだの確保2000万円程度の資金・借金が必要になり、これも深刻な課題となっています。
県立山田病院長を訪問
昭和大学医療支援チームが支援
1階が被災を受け、2階で外来診療を行っている県立山田病院を訪ね院長から医療支援の状況を聞きました。漆原宮古保健所長も来ていました。平泉副院長は訪問診療に出かけていました。山田病院には昭和大学医療支援チームが来ており、1カ月程度は支援するとのこと。1年ぐらいの支援が必要との話もされているとのこと。山田南小学校、山田高校などにも医療支援チームが入っており、旧山田病院の活用も検討されています。院長は山田病院の存続のためにも新病院での診療を継続したいと述べていました。
《2011年3月21日》
高橋千鶴子衆議院議員とともに、陸前高田市、
大船渡市の被災状況を調査
3月21日午前7時、高橋千鶴子衆議院議員とともに県委員会事務所を出発し陸前高田市に向かいました。9時半に中里前市長宅に到着し、現地対策本部と打ち合わせ。全日本民医連から応援に来ている兵庫県の民医連の医師、看護師さん等の医療班も合流しました。
藤倉泰治陸前高田市議の案内で、津波で破壊された酔仙酒造の地域や市役所前など市中心部の壊滅的な被害状況を調査。こんなに平場が広かったのかと思わせるような平場の地域が津波に押し流されています。
米崎小学校の避難所で要望を聞く
長靴、ズボンがほしい、薬が足りない
280人余が避難生活をしている米崎小学校を訪ね、自ら避難生活をしている大坪涼子市議と再会。避難されている方々から状況と要望を聞きました。支援物資は届けられて生きているが、長靴、ズボン、ズボン下がほしい。逃げてきたサンダルのままで現場に行けないでいると訴えられました。昨夜から自衛隊によってお風呂が設置され入れるようになった。昨日は盛岡医療生協川久保病院の小野寺けい子医師が来て避難者一人一人を訪ね診察し生活のアドバイスを含め世話になったと話していました。しかし、夜になると一晩中咳をする声の合唱の様相だ。風邪や高血圧の薬はあるがその他の薬が不足している、消毒液の入れ物も不足している。漁民で陸前高田民商の会長を務める佐藤吉郎さんは、燃料・ガソリンがなく現場にも買い物にも行けない、申告はどうなるのか、自動車税はどうなるか、仮設住宅は漁業のためには海のそばでないと困るなど、今後の生活に関わる切実な要望が出されました。避難所では避難されている方々が一致団結して、分担して取り組んでいる様子がうかがわれました。子ども保育室も見てきました。
ガソリンスタンドがない、行政を支える人員の支援を
戸羽市長から状況と要望を聞く
戸羽太市長を改めて訪問し、お見舞いするとともに状況と要望を聞きました。戸羽市長は、市内のガソリンスタンドが皆破壊されて、市民にガソリンを供給する手段がない。そのために安否確認もできない状況だ。市民にガソリンを供給する手立てが必要と訴えました。また、80人余の市職員が行方不明となる中で、総務・出納、教育委員会の人員の応援を求めているとのこと。仮設住宅については、3600〜3700戸が全壊しており、半壊など住めない家屋を含めると4000戸の仮設住宅が必要と述べ、2700〜2800戸は場所の確保の見通しがついていると述べました。親を亡くした子どもたちへの対応についても心配していました。自ら家族をなくす困難な中で毅然として救援・復興の対策の先頭に立つ戸羽市長の凛とした姿が印象的でした。
大船渡市末崎町の避難所・長源寺で
住職・避難者から状況を聞く
午後には小友町を通って大船渡市入りしました。津波の時には小友町が水没し広田半島が孤立したとのこと。小友町は壊滅的な状況でした。大船渡市末崎町細浦の避難所となっている長源寺を訪ねました。ここには自ら自宅を流された滝田松男大船渡市議も避難しています。阪神淡路大震災のボランティアの経験もある住職の谷山誠志さんが避難者の世話役を務めていました。谷山さんは、北上の安楽寺などを通して支援物資が届けられている。お寺には120枚の毛布もあり灯油も寄せられ、温かい、落ち着いた雰囲気でした。それでもまだ停電中で地力の発電機で対応していました。水も断水しており給水車は3日目からきているとのことでした。ボランティアをもっと入れるべきではないかとの話しもされました。避難されている方々からは、水が出ず風呂に入れない、流された車の処理はどうすればいいのか、仮設住宅の見通しは、身近な所に設置してほしい。自動車税など公共料金、インターネットなど口座引き落としの処理などの不安が出されました。
戸田大船渡市長をお見舞いし状況を聞く
想定外の津波、災害に強い街づくりが必要
大船渡市役所に戸田公明市長を訪ね、お見舞いを申し上げるととともに被災の状況を聞きました。大船渡市の地図に被災状況を示しながら、想定外の大きな津波だったこと。吉浜では45号線から上の高台に住宅がつくられたために被害が小さかったことを述べ、災害に強い街づくりの必要性を強調しました。復興のための新たな部署の設置も検討していると述べました。仮設住宅は2100戸要望し、校庭や公園など23カ所のめどをつけているとのことです。また、退職予定者も3カ月延期して救援と復興に取り組んでもらうことにしているとのことです。
大船渡市盛町内、大船渡町内の被害状況を見ましたが、大船渡港の貯木場の大きな丸太が所々に流されているのが特徴的でした。
《2011年3月20日》
日本共産党中央委員会が岩手県に1000万円の義援金渡す
3月20日午後5時に、高橋千鶴子衆議院議員が岩手県知事の達増拓也知事に1000万円の義援金を渡しました。これには菅原則勝県委員長と斉藤県議も同席しました。これは日本共産党が全国から寄せられた義援金のうち1000万円を第一弾として実施したものです。宮城県、福島県にも渡しました。
高橋衆議院議員は、仙台に現地対策本部を設置し本部長として仙台市や気仙沼市などの調査を行ってきたことを紹介し、党をあげて救援・復興活動に取り組んでいますと挨拶。
達増知事は、「日本共産党が草の根のネットワークを生かし救援活動に取り組まれていることに感謝を表し、18日に県委員会が行った『救援・復興の取り組みについての申し入れ』についても各部局に徹底するよう指示した」と述べました。
《2011年3月20日》
県内いっせい地方選挙を統一して延期を求める申し入れ行う
3月20日、県選挙管理委員長あてに県内いっせい地方選挙の統一した延期を求める申し入れ(別紙)を行いました。雫石町では当初の予定通り町議選が実施される旨の連絡が19日に各議員に通知されました。
日本共産党は、未曽有の大震災で沿岸市町村が甚大な被害を受け、全国、海外から支援を受けているときに、県内市町村が一体で、党派を超えて大震災の救援・復旧の取り組みを行うべきであり、いっせい地方選挙の後半戦を含め統一して延期すべきと申し入れを行いました。
応対した佐々木信県選管書記長は、「総務省は選挙を実施できない物理的困難はあるのかという態度だ。市町村選管の意向を内々確認しているができないというところはそのまま伝えてある。市町村課長としては思いは同じだ」と述べました。
何としても大震災さなかの選挙は許されないことです。声をあげましょう。
申し入れの全文は、「政策と活動」をご覧ください。
《2011年3月19日》
支援物資を届け宮古市・田老地区を現地調査
山本宮古市長をお見舞いし、要望聞く
3月19日、日本共産党盛岡地区委員会が支援物資を宮古地区委員会に届けるため午前10時に盛岡を出発しました。緊急の呼びかけにコメ100キロ、缶詰、肉、野菜、アユの冷凍、灯油、軽油などが集まりワゴン車いっぱいに詰め込んで届けました。私も佐久間正行地区委員長とともに参加しました。12時に宮古地区委員会に到着し田中尚地区委員長・宮古市議、落合久三副委員長・宮古市議と届けたおにぎりを食べながら現地の状況を聞きました。
ガレキ残る中心商店街、ホコリ舞う中清掃・復旧に取り組む住民
1時過ぎに、宮古市の末広町や大通りなど中心商店街の被害状況を見ました。車が通れる道幅は確保されていますが店の前にはガレキやごみが張り付いている状況です。道路上にまだ大きな船が取り残されています。ガレキに埋もれている道路もあります。宮古セントラルホテル熊安の社長さんを見つけ話を聞きました。ホテル前には流されてきた自動車が隣の家にぶつかったままになっています。また、自宅が浸水して避難生活をしている天杉さんが自宅の清掃・整理をしている姿を見て状況を聞きました。自宅の1階まで浸水したとのこと。
燃料・仮設住宅・通信の一刻も早い確保を
宮古市長をお見舞いし現地の状況・要望を聞く
市役所に山本市長を訪ねお見舞いするとともに今必要なことはなにか聞きました。山本市長は、燃料の確保、仮設住宅の建設、通信の確保をとくに強調しました。灯油は確保されつつあるがガソリンはまだ見通しが立たない。仮設住宅はグリーンピア田老と愛宕中学校にはすぐ建設できる。通信が確保されず情報が伝わらないと述べ県やNТTの機敏な対応を求めました。また、自衛隊の潜水部隊が藤原埠頭の安全を確認し、港が活用できるようになった。すでに船がついているとのことでした。
鍬ヶ崎・日立浜で安否確認
津波直撃で家もろとも流される被害
津波の直撃を受けた鍬ヶ崎、日立浜に行き、被害の状況を調査するとともに、まだ連絡が取れない党員の安否を尋ねました。市内とは違って家もろとも流されている状況で、漁船が陸に上がったままです。自衛隊がガレキの撤去作業を行っていました。
10メートルの堤防を超えた津波に衝撃
壊滅的な田老の町
浄土ヶ浜パークホテルを通って45号線に入り、田老へ向かいました。昭和8年(1933年)の昭和三陸津波以来10メートルの堤防を建設して世界最大の「津波防災の町」といわれた田老の町に入ると、堤防はほとんどそのまま残っているものの、津波がそこを乗り超えて、町もろとも流し去っていました。陸前高田市内の状況と同じです。45号線の中心商店街の道路の周りはガレキの山です。ポツンと田老観光ホテルの建物だけが残骸のように残って、周りの家々は流されている光景は象徴的です。45号線に続く橋が流されていました。想像を超えた津波の大きさと脅威を感じてきました。
200人が避難生活、やっとお風呂に入れる
懸命に頑張る避難者と市職員、ボランティア
田老からの帰り道、鍬ヶ崎地域住民の避難場所になっている宮古二中の避難場所を訪ねました。避難している体育館で切り盛りしている市職員から話を聞きました。やっと今日40人(子供がさらに30人)が新里にある「ゆったり館」のお風呂に入ることができたとのこと。避難当時には中学校の教室も使っていたようですが、子どもたちに迷惑はかけられないとみんな体育館に移動したとのこと。宮古病院から退院し回された避難者もいました。ストーブも節約して使い、食事は1日2食分しか提供されていないが、避難所同士でやりくりして3食提供するように努力しているとのことでした。避難住民は避難当時の仲間だった8班編成にして、班長会議を毎日行い避難所の運営をしているとのこと。体育館の一角には市民から寄せられた古着や靴など支援物資が並べられ、中学生、高校生などのボランティアが頑張っていました。市職員、保健師も24時間体制で頑張っていました。
宮古市の避難者は19日現在、64カ所に7294人が避難しています。大津波から命を守った避難者の方々の生活は、寒さ、食事、風呂、トイレなど厳しさは変わりません。避難者の命と健康、生活を守ることを最優先にした対応の改善が必要と感じてきました。
《2011年3月18日》
東日本大震災の救援・復興対策について県に申し入れ
ガソリン・灯油の確保、避難者の生活支援などの緊急対策を
3月18日、東日本大震災から1週間を迎え、17日までに死者1905人、行方不明者3853人、避難者数48439人(うち沿岸12市町村で46289人)となっている中、被災現地から寄せられた要望とこれまでの現地調査の内容をまとめて、日本共産党岩手県委員会が達増拓也知事あてに救援と復興対策について申し入れを行いました。菅原則勝県委員長、斉藤県議、西山剛県常任委員が宮舘壽喜副知事、菅野洋樹総務部長に申し入れを行いました。
申し入れの内容は、@ガソリン・灯油など燃料の確保、A避難者の生命と健康、生活を守る具体的な対策、B被災地域での医療体制の構築、C仮設住宅等の確保、D道路、電気、水、ガス、通信などのライフラインの確保、E市町村の災害対策本部への支援と情報の提供など6項目です(内容は別紙)。
宮舘副知事は、「申し入れの内容はその通りだ。県としてこれまで11回の対策本部会議を行い、取り組みの状況把握と課題を明らかにしてきた。@ガソリン・灯油の確保は深刻だ。知事も総理に直接直訴した。今日・明日で燃料が岩手まで運ばれるので、できるだけ早く被災地に届けたい」と述べました。A避難者の生活支援については、「アピオ・花巻空港に物資は届けられている。燃料不足の中でどう届けるか対策を講じたい」。B仮設住宅は「明日から高田一中に36戸を手始めに、適当な場所に確保したい」。C医療体制については、「住田に拠点を移して診療センターを活用するなど対策を講じている」。D市町村への対応では「とくに切実な陸前高田市と大槌町への支援を強めたい」と答えました。
申し入れの全文については、「政策と活動」をご覧ください。
《2011年3月18日》
連日、東日本大震災救援募金活動を展開しています
3月15日から、東日本大震災救援募金活動を県内各地で展開しています。15日には盛岡市東大通り商店街の亀が池前、16日には大通り野村証券前、17日は大通りクロステラス前、18日は野村証券前で街頭から呼び掛けました。たくさんの方々から募金が寄せられています。三陸沿岸の出身の方や仙台からきている方などから安否確認の声や心配の声が寄せられています。九戸村の市日でなど県内各地でも展開しています。
横浜市議団、党富山県委員会、愛知県日本福祉大学関係者、京都宇治市の女性、千葉県の方、東京都の方など全国からも募金が続々と寄せられています。
《2011年3月17日》
17日、瀬川書記長、若山副委員長、西山県常任委員が
大槌町、宮古市、陸前高田市と大船渡市に支援に入る
若山明夫県副委員長と深澤寿郎東部地区委員長は、自治労連県本部の渡辺孝文書記長とともに雪の土坂峠を通り大槌町入りしました。町内に入ると景色は一変。中心部の町が壊滅していることに絶句。まだ道路もない状況でした。
自衛隊の先導で他の救援物資を運ぶ車と一緒に中央公民館の災害対策本部に到着。渡辺自治労連書記長は早速町職員の姿を見つけ、職員の安否を尋ねました。住民の救援活動に取り組んでいる平野主幹は、136人の町職員のうち35人が行方不明となっていること。職員も家族や家を失って帰るところがない。疲れきっているが泣き言も言わず頑張っていると声を詰まらせながら話しました。女性の職員は炊き出しで頑張っていました。
若山副委員長が阿部佑吉党大槌町議の動向を聞くと、さっき阿部町議が災害対策本部を訪れたばかりだと教育長室に案内され、陣頭指揮を執っている副町長と教育長から話を聞きました。
西山剛県常任委員は赤旗記者とともに午前7時盛岡を出発し支援物資とともに宮古市に向かいました。大通りと末広町は水浸しと泥で、津波に運ばれた船がまだ道路におかれていました。地区委員会に行くと被災した党員が避難場所での世話役をしているが寒いと報告に来ていました。山田町の佐藤照彦町議も来て、山田町は中心部が壊滅的な被害。自宅も1階が浸水した。作業所に16人で避難しているがコメが不足していると報告されました。
瀬川貞清県書記長(奥州市区県議候補)は胆江民商の皆さんと寄せられた支援物資を2台のワゴン車に詰め大船渡市と陸前高田市に行きました。大船渡市の町場に行くと瓦礫の山と大きな船が住宅地に置き去りにされていて被害の大きさを痛感。陸前高田市では中里長門前市長宅を訪ね支援物資を届けました。米崎小学校の避難場所を訪問し80個のおにぎりと支援物資を届け大変喜ばれました。
《2011年3月16日》
陸前高田市の大震災の状況を調査
想像を超える大津波、自主的な運営進める避難所
3月16日、朝7時に党県員会を出発し被害の大きい陸前高田市の大震災調査に向かいました。これには陸前高田市出身の私の事務局長を務める中里隼一君と吉田まちこ県常任委員が同行。岩手に現地対策本部を設置した自治労連の柴田英二中央副執行委員長と高橋県本部副委員長、赤旗記者も自治労連が借り上げたレンタカーで一緒に出発しました。
7時過ぎにも関わらずガソリンスタンド前で大渋滞しているところがあちこちで発生しています。灯油のタンクを持って並ぶ姿も。ガソリン・灯油不足は深刻。遠野市の荷沢峠を越えるまで県内は雪化粧、冬に逆戻りした寒さ。
ガレキの山の竹駒町、気仙川を逆流した大津波
9時半ごろ、住田町から陸前高田市の竹駒町に入ると風景は一変しました。国道は辛うじて車が通れるようになっていましたが、道路の周りはガレキの山。気仙川の河口から5キロはあると思われる竹駒町まで逆流した津波の猛威を痛感させられました。少し高台にある保育園まで津波は襲っていました。
高田松原の松の高さを超える大津波
宮城県沖地震による津波の想定を大きく超える
中里長門前市長宅に到着し、党現地対策本部と打ち合わせ。中心部にある党陸前高田市委員会の事務所もあとかたもなく流されています。中里前市長からは、市庁舎、消防本部が破壊され、270人の市職員のうち約80人が行方不明となっていること。防災担当者が被災し、教育委員会が壊滅的な状況。県立高田病院が4階まで浸水し米崎コミニュティーセンターで臨時診療所を開設して奮闘していると報告されました。市の災害対策本部の体制に限界があり補強が必要との提起もされました。津波の規模は高田松原の松の高さを超えるもので、宮城県沖地震による津波の想定を大きく上回る未曽有のものだった。避難所に指定していた市民会館が津波にのみ込まれた状況だったと報告されました。
広田町の伊勢さんからは、避難所の状況が詳しく報告されました。
高田一中の避難所を訪問、「1人はみんなのために・みんなは1人のために」
助け合い、自主的に避難所を運営
1250人の被災者が避難生活を送っている市立高田一中を最初に訪れました。事実上の責任者を務める校長先生から状況を聞きました。まず強調されたことは、「生徒や職員の安否、子どもたちの教育のことが心配だが、避難されてきた被災者の皆さんの安全を守るために全力をあげている」「被災者の皆さんが安心して暮らせるように、避難者自らの力で取り組めるよう自治組織を立ち上げている」とのことでした。大津波の当日には赤ちゃんにミルクをやれず泣きやまない子どものために住田町まで駆けつけて確保してきたことも話されました。また、子どもたちのためには4月からの先生の人事異動を凍結し対応を継続するよう沿岸の校長会議で求めているとのことでした。
70代、80代のおばあさんに話を聞きました。「住民の避難のために頑張った若い人たちがなくなったことが残念だ」と何度も強調しました。80代の方は、「大東亜戦争の時には学徒動員で三菱造船に行き空襲を受けたが、今回の津波はその時よりも怖かった」と話し「生きているだけでごはんもみそ汁もおいしい」と語っていました。避難所では80歳以上の方には畳が支給されているとのことでした。奥さんと息子さんが行方不明だという男性にも話を聞きました。茫然とした表情で「食べ物があるだけで十分」と話していました。
米崎小学校の避難所に「子ども保育室」を設置
みんなで力を合わせ自主的に運営
午後からは米崎小学校の避難所を訪ねました。党高田市議の大坪涼子さんも被災し避難所で懸命に頑張っていました。ここでは校舎の一室を「子ども保育室」として乳幼児を持つ家族の方々がおられました。家族と一緒の元気な子どもたちの声が印象的でした。体育館の避難所では責任者の方から話を聞きました。「トイレが足りない。夜間、校庭の反対側にあるトイレまで懐中電灯を持っていかなければならない」「ごみが処理できない」「被災した自宅等で盗難も発生している」などのことが話されました。
不眠不休で奮闘する高田病院の医師、職員
米崎で臨時診療所開設
米崎コミニティ―センターに開設している県立高田病院の臨時診療所を訪ねました。忙しい中、石木幹人院長から話を聞きました。11日の津波の当日はわずか30分の間に、患者さんを4階に、屋上に避難させるために職員が一体で取り組んだこと。翌日の夕方にヘリコプターで救出されるまでほとんど立ちっぱなしで患者を守るために頑張ったこと。そして救出された米崎コミセンで早速14日から臨時診療所を開設。14日に70人、15日には130人、16日には午前中で140人を超える患者が来たとのこと。文字通り不眠不休での奮闘ぶりでした。院長先生をはじめ職員の方々は被災した時の白衣と服装で診療にあたっていました。石木院長はもう職員は限界。中央病院から派遣される医師に引き継ぎたい。医師、看護士、薬剤師等が全く足りないと強調されました。薬はやっと1週間分出せるようになったが市内の調剤薬局は壊滅し2名の薬剤師だけでは足りない。外来機能は何としても維持したいと強調されました。
その後、老人保健施設のある松原園を訪れましたが、電気、水のライフラインが確保できず185人の入所者を関連の遠野市や大船渡市の施設に移動したとのことでした。電気、水が会付されれば人工透析は早く再開したい。「高齢者は環境が変わるとストレスが大きい」と述べ老人保健施設も9月頃までには再開したいと述べられました。
市災害対策本部で戸羽市長にお見舞い、激励する
夕方、給食センターに設置されている市災害対策本部を訪問し、戸羽太市長にお見舞いを申し上げるとともに陣頭指揮にあたっている市町を激励しました。戸羽市長は、被災者、避難所の状況も把握されてきている。市職員自身が被災し市庁舎も崩壊した中で大変だが、職員は一所懸命奮闘している。ガソリン・灯油が不足している。避難所との連絡や物資の支給など危ぶまれる。電気の復旧。衣類・ミルク・紙おむつなどの生活用品、遺体の処理・火葬など課題がたくさんあると訴えられました。
再び中里前市長宅に集まって一日の活動と状況を交流しました。ガソリンが不足する中で支援活動も大変な状況となっています。夕方には吹雪のような状況になり、避難所での寒さが本当に心配になりました。
これまでに寄せられた要求と実態について、直ちに県や関係団体に届け、引き続き全力で救援・支援の活動に取り組みます。
《2011年3月13日》
東北地方太平洋沖地震 3月13日・陸前高田市現地レポート
燃料の確保、通信網の整備切実
3月13日、往復分のガソリンを確保し盛岡市を出発しました。
住田町に大坂府警のパトカーがあり、ガソリンスタンドは緊急車両用に制限されていました。
市内に入り、横田小学校に自衛隊の拠点を確認。そこからすぐ近くの気仙川(河口から約10キロ地点)に津波で流されてきたと思われるタンクを確認しました。ニュース等で見るよりだいぶ奥まで津波が押し寄せ、がれきは竹駒保育園を超えたところまで確認できました。
竹駒町から高田町の避難所方面へ通じる迂回路を通り、陸前高田市立第一中学校の体育館へ。その後、避難所となっている上和野公民館、希望の丘病院、高寿園を訪問しました。
市内の火葬場に避難した60代の女性は「5分ぐらい大きな揺れで、避難場所の市民体育館に車で向かったが、すでに車でいっぱい。さらに奥を目指し車を走らせ、途中で車を乗り捨てて高台に走った。すぐそこまで波が迫っていた。逆に市民体育館に避難した人たちは波にのまれてしまった…」と話しました。奇跡的な生還です。防災無線で「大津波警報です!高台に逃げてください!」と連呼、昨年のチリ地震津波のときも迅速に避難したとのことでした。
市立第一中学校の体育館では、NTTが設置した衛星電話と思われるものが1台のみ。長蛇の列ができていました。行くことができた他の避難所では電話設置されておらず、通信網の整備は切実だと痛感しました。
避難所の方の話では、発電機用の燃料も切実とのこと。暖房をたくにも発電機の稼働が何よりで、特に体育館などの広い施設では暖房が多く必要と訴えていました。
その後は車を米崎町に走らせました。親戚の家に避難していた漁業者の方は、「漁村はなくなってしまったが、残っている漁民のためにも、共済制度を最大限活用してもらって、生活資金の援助を」と話しました。盛岡の本所での対応が中心でなかなかこちらの声が届かないとのことでした。
がれきの山を横目に見ながら、米崎中学校を過ぎたところまで移動。そこから見た脇ノ沢地区は壊滅状態でした。
高台の市立第一中学校から壊滅状態となった市内を見つめる避難者も多く見られました。
避難所では、家族や知人と再会し抱き合って涙を流す光景も見られました。
避難所へは行かず実家で待機している一家からは、「ラジオ、電池、ろうそく、電灯、インスタントの味噌汁やカップラーメン、携帯が使える見込みはまだないが電池式の携帯充電器」などの物資の要望を受けました。
市内に入ればまったく通信が途絶えるため、逆に情報が得られなくなる状況でもありました。
自衛隊やさまざまな援助隊が現地入りしていますが、食料や燃料、通信設備などまだまだ不十分な状況です。
《2011年3月11、12日》
東北地方太平洋沖地震で大津波、沿岸で甚大な被害
3月11日、午後2時46分、三陸沖でマグニチュード9.0(後で修正)という最大規模の地震が起き、三陸沿岸地域に大津波が襲いました。被災された皆さんに心からお見舞い申し上げます。全力をあげて被災者の救援と復興に取り組む決意です。
地震が発生したのは県議会予算特別委員会の審査中でした。かつてない大きな、長時間にわたる地震で尋常ではないことが痛感され、議会は直ちに中断し、県当局が全力で災害対応できるようにしました。直後から県全域で停電となり、県庁は自家発電で対応しました。電話も携帯も不通となり、沿岸地方の議員はもとより全く連絡が取れない状況となりました。議会の控室でテレビの災害情報にくぎ付けとなり、県の災害対策本部を訪問・激励しながら状況の把握に努めました。
日本共産党県委員会は直ちに菅原則勝県委員長を本部長、私を副本部長とする災害対策本部を設置し、菅原県委員長も事務所が停電の中、県議会の控室に駆けつけ情報収集に取り組みました。
12日は、早朝から県議会に駆けつけ災害対策本部を訪問・激励し菅野総務部長から状況を聞きました。午前10時からは県委員会で党災害対策本部で打ち合わせ。沿岸の地方議員・地区委員会の連絡状況を把握したものの、ほとんど連絡が取れない状況。
午後4時には高橋千鶴子衆議院議員が青森から陸路で盛岡に駆けつけました。宮舘壽喜副知事を訪問し、お見舞いを申し上げるとともに災害状況について聞きました。宮舘副知事は午前中に、政府調査団と自衛隊ヘリで上空から大船渡、陸前高田などを視察してきた様子を報告。とくに陸前高田の状況は壊滅的な被害だったと述べました。
県の災害対策本部も訪問し、菅野総務部長、小山防災対策室長から状況と対応を聞き、激励しました。とくに食料、燃料、毛布などが不足している。沿岸市町村の役場地震が被災しており、災害と必要な対策の状況が把握されていない。自衛隊や緊急消防が派遣されており、そこから情報が入りつつあると述べました。また、全県で交通規制を行い緊急車両優先の体制を取っていると述べました。全国から30台のヘリも活動し救援救出に取り組んでいると報告されました。
13日、早朝から災害対策本部を訪問し、激励しつつ状況を把握。11時から労組・民主団体と共同の対策本部会議を開きました。菅原県委員長がこの間の経過と対応について報告し、高橋千鶴子衆議院議員があいさつ。私から災害の状況と県の対応状況について報告し、各団体から状況報告を受けました。
午後から、夕方にかけて陸前高田の藤倉泰治市会議員の消息を確認、被災者を訪問し安否の確認に取り組んでいると報告がありました。藤倉市議は夜一関市まで来て、「現地はガソリン、灯油がないこと。米も停電で炊けないこと」など直接直訴しに来たと連絡がありました。久慈地区委員会の橋上地区委員長は野田村の宇部武典村議の安否確認に出かけ安全を確認しました。宇部村議の自宅は胸までつかる津波の被害を受けたとのこと。宮古の田中尚市議とも連絡を取れ、落合市議、崎尾市議とも地震発生の時には市議会中で市庁舎に避難、津波の状況を目の当たりに見たとのこと。その後地元に戻り被災者を激励しているとのことです。
午後7時現在、死者が500人を超えたとのこと。5万3000人が避難していると報告がありました。
《2011年3月7日》
来年度県立病院の看護師70名増員
過酷な勤務環境を改善し看護師不足の解消へ全力を
3月7日、斉藤県議は予算特別委員会の医療局審査で質疑に立ち、県立病院の看護師不足の問題について取り上げ、看護師の確保状況について質しました。県医療局の佐川義明職員課総括課長は、「約120名の退職者に対して、約190名の新規採用職員を確保している」と答弁し、来年度約70名の増員となることが明らかになりました。また佐川総括課長は、「そのうち7対1看護体制の病院に52名の増員となる」と答えました。
斉藤県議は、「人員が少なくて年次休暇もとれない」「子育て中の人が育児時間を申請しているのに毎日21過ぎまで超過勤務をしている」など現場の看護師の切実な声を紹介し、「看護師の十分な確保のためにも労働環境を抜本的に改善すべき」と求めました。
田村均次医療局長は、「7対1体制の導入でかえって環境が厳しくなっているという話は聞いている。看護師の確保は厳しいが、できるだけ募集の増員を図りながら勤務環境の改善に取り組むことを継続していきたい」と回答しました。
医療局審査での質疑の大要については、「議会報告」をご覧ください。
《2011年3月5日》
TPP断固反対の熱気あふれる―TPPを考える県民フォーラム
内橋克人氏が講演、消費者、林野、建設業者の代表が訴え
3月5日、TPPを考える県民フォーラムが教育会館大ホールで開かれ会場いっぱいの800人を超える参加で熱気にあふれました。私も来賓として参加しました。フォーラム開催の前には街頭から訴え、会場の前ではTPP問題のチラシを配布しました。
TPP等と食料・農林水産業・地域経済を考える岩手県民会議が開催したものです。長澤寿一農協中央会会長が主催者を代表してあいさつし、1月31日に結成した県民会議が48団体に広がり、署名運動に取り組んでいることを紹介し、幅広い各団体との共同を広げTPP参加を阻止しようと呼びかけました。
記念講演で内橋克人氏は、三つの異様として@菅内閣の開国論の異様、A前原発言の異様、B新聞・メディアの異様を指摘し、TPP問題の背景にアメリカの世界戦略がると歴史的に明らかにしました。また、日本の市場開放は60年代の新安保条約から始まり、飼料用穀物の自由化で食料自給率が大幅に後退したことを指摘。今最後の砦であるコメが狙われていると述べました。日本の穀物生産量が1000万トンに対し、人口が半分のイギリスは3000万トン、人口8000万人のドイツは5500万トンであることを示し、日本の異常さを指摘しました。
消費者、林野、建設業団体の各界の代表がそれぞれ訴え、いわて生協の代表は、TPPに参加すれば岩手の牛乳も県産大豆の豆腐も食べられなくなり、田畑が荒廃してしまう。他国に食料をゆだねてはいけないと訴えました。淨安森林組合の代表は、昭和56年のスギの価格は1立米当たり3万円だったが、今は1万円に下がっている。昭和36年の木材自由化で外材利用になった結果だ。TPP参加では合板・集成材が打撃を受けると訴えました。県建設業協会の専務理事は、TPP参加が中小建設業にも大きな影響を与えるとして、@国際入札範囲の拡大(23億円から7億6500万円に)、A行政コストの肥大化と停滞、B非関税障壁の撤廃による減収とインフラ整備の質の低下などをあげました。
フォーラムでは、達増知事も挨拶しましたが、原稿棒読みでTPP参加に反対を表明しない挨拶に会場から失望の声も出ました。国会議員を代表して挨拶した民主党の菊池長右衛門氏は冒頭、民主党会派から16人が離脱したことを説明しようとしましたが、会場から大きなブーイングが出されました。
《2011年3月3日》
無保険による受診の遅れで死亡―高すぎる国保税は引き下げを
予算特別委員会で知事に対する総括質疑に立つ
3月3日、県議会・予算特別委員会で斉藤県議は知事に対する総括質疑に立ち、高すぎる国保税の問題について取り上げました。
斉藤県議は、盛岡市の場合、給与所得225万円の方の「協会健保」保険料は15万9000円、国保税になると33万8000円にもなる実態を示し、負担の限界を超えている国保税の認識について達増拓也知事に質問。達増知事は、「県民の国保税に対する負担感が年々増しているものと認識している」と答えました。
また、国保税が高すぎて払えず滞納が増えている中で、県が滞納防止対策として「夜間の訪問徴収や督促」「資格証・短期証の適切な交付」などの方針を示していること、給与や年金までが差し押さえられている問題を取り上げ、「命を脅かす無慈悲なやり方は直ちにやめるべき」と厳しく指摘しました。
さらに、全日本民医連の調査で、無保険による受診の遅れで死亡したケースが県内でも発生したと述べ、短期証の留め置きで県内2473世帯・4024人の方々が無保険状態にある実態について質しました。達増知事は、「皆で助け合って国保制度を維持していくうえで、負担が困難な方についてはきちんと配慮していくことが重要」と述べるにとどまりました。
斉藤県議は、12都府県で独自に行っている法定外の繰り入れを県でも実施し、市町村を支援すべきと求めました。
総括質疑の大要については、「議会報告」をご覧ください。
《2011年3月1日》
津付ダム建設橋梁工事、トンネル築造工事の請負契約案件に対する反対討論に立つ
津付ダム建設は中止しダムに頼らない治水対策へ転換を
3月1日の県議会本会議で斉藤県議は、津付ダム建設橋梁工事とトンネル築造工事の請負契約に関する議案への反対討論に立ちました。
斉藤県議は、国の検証対象となった津付ダム建設事業に関する工事の入札が、再検証・再評価が行われているさなかに行われた問題を取り上げ、本来再検証・再評価の結果を待って行われるべき事業だと指摘しました。
斉藤県議は、津付ダム建設事業は、県の再評価案でも、ダム+河川改修が総事業費165億円、河川改修事業費が93億円となっておりダム建設の方が72億円も過大となること、大規模事業評価専門委員会が県にまとめさせた「気仙川治水対策比較表」においても、「ダム建設が環境、生物に与える影響は甚大なものがある」と明記されていることを強調。また、地域への説明会が一部流域住民だけに限定されたことも問題だと述べました。
さらに、熊本県の知事が本体工事だけを残した川辺川ダムの建設中止を決断したこと、大阪の橋本知事も最近、本体工事が始まっていた槙尾川ダムの建設中止を決断したことを示し、県財政の危機的な状況の下で、さらなるムダ遣いを進める達増知事の姿勢を批判。「津付ダムの建設は中止し、今こそダムに頼らない治水対策、流域全体で受け止める治水対策へ転換を図るべき」と訴えました。
反対討論の全文については、「議会報告」ご覧ください。