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《2011年6月28日》
県立高田高校の早期整備を、すべての学校の放射線測定を
菅野教育長に緊急の申し入れ


 6月28日、日本共産党岩手県委員会は、菅野洋樹県教育長に対して「東日本大震災津波・原発事故に対する教育分野の対策に関する申し入れ」を行いました。これには私と瀬川貞清県書記長(奥州市区県議候補)、高田一郎一関区県議候補が参加しました。
 申し入れでは、@被災した学校施設の早期の整備、とりわけ県立高田高校の整備、他校等で授業再開している沿岸24校の早期整備。仮設校舎で使用できない運動場の確保。A被災児童生徒の心のケア。B被災した教職員の住居の確保。C福島原発事故に関わる学校の校庭・プールの放射線の測定と公表・安全確保などです。
 菅野教育長は、県立高田高校の早期整備について、陸前高田の戸羽市長からも要望をいただいた。市町村と相談しながら詰めていきたいと答えました。児童生徒の心のケアについては、全国からカウンセラーが6週間入っていただいた。「岩手の先生、子どもたちは頑張っているが、長期の取り組みが必要」と報告された。教職員のケアにも取り組んでいくと述べました。放射能測定問題では、信頼のある公的機関で検査されるべきで、いずれ全庁を挙げて対応する問題だと答えました。
 斉藤県議は、県立高田高校の早期整備について、新入生が地元の高校で学び卒業できるように3年以内の整備を打ち出すべきと求めました。また、放射線の測定問題では、児童生徒の安全の確保が緊急課題であり、学校の校庭・プールでの測定を市町村任せではなく県教委が率先して実施すべきと質しました。高田一郎氏は、一関市が学校の校庭の放射線測定を行ったが、千厩の清田小学校では0.36マイクロシーベルトとなるなど文科省の年間1ミリシーベルトを超える状態となっていると指摘。瀬川貞清氏は、内部被ばくを最大限防ぐことに全力を注いでほしい。原発からの撤退を各分野から発信すべきと強調しました。
 
 申し入れ全文は、「政策と活動」をご覧ください。


《2011年6月22日》
住みよい仮設住宅めざし県に申し入れ
すべての団地に集会所・談話室の設置を求める


 6月22日、日本共産党岩手県委員会は達増拓也県知事あてに「住みよい仮設住宅についての申し入れ」を行いました。この申し入れには私と西山剛県常任委員、吉田まち子県常任委員が参加。若林治男県土整備部長らが対応しました。
 申し入れは、この間の仮設住宅訪問で出された要望をまとめたもの。孤独化・孤立化を防止し、仮設住宅のコミュニティを確立する保障ともなる集会所・談話室をすべての団地で整備すること。多人数世帯も入居できる仮設住宅の整備、玄関・窓等に網戸・窓のサッシの二重化、高齢者世帯に手すりとスロープの設置などの10項目です。
 若林県土整備部長は、307団地(グループホームを含めると312団地)、13835戸の建設を行ってきた。ほかよりもきめ細かな整備に努めてきたと回答。集会所は36カ所、談話室は105の整備の計画だ。窓は二重サッシに、網戸も付ける。玄関はなかなか難しい、風除室は7500戸ほどつくると回答。手すり・スロープについては要望があれば追加整備する。その旨を周知すると述べました。入居期間については、「いずれ次の住居が確保されない限りは、退居してくださいということはない」と回答しました。
 県内業者による仮設住宅の建設は、木造が1600戸、枠組み壁工法が500戸程度、鉄骨が200数十戸と述べました。

 申し入れ文書の全文は、「政策と活動」をご覧ください。


《2011年6月21日》
大船渡市・陸前高田市の各界から課題と要望を聞く
県議会災害対策特別委員会が現地調査


 6月21日、県議会災害対策特別委員会の現地調査で大船渡市と陸前高田市を訪問し、各界の方々から被災状況と普及の取り組み、要望について聞きました。
 朝7時15分、県議会前を出発し、9時45分に大船渡市の合同庁舎に到着。バスを降りたら魚の腐った臭いがして驚きました。風の流れでしょうか、猪川町の合同庁舎まで臭いが届いていました。午前10時から戸田大船渡市長や水産関係者、商工会議所など14人の方々から話を聞きました。

水産業・被災企業に国家的支援を
仮設住宅に集会所の設置を


 戸田公明大船渡市長は、「陸上ガレキの撤去は50%弱まで終了、8月末までには撤去の見通しだ。海上のガレキについては7隻の船で作業中だが、現在、養殖施設・定置網地域の調査中だ」と述べました。切実な要望として、@大津波から人命、家屋を守るまちづくり、A水産業への国家的支援と持続可能な漁業の構築、B被災企業(大中小に関わらず)・個人事業者に対する大きな支援、C三陸縦貫道の早期全面開通、D本格的な復旧・復興に向けた補正予算の早期成立を訴えました。佐藤丈夫市議会議長は、多人数世帯用の仮設住宅がない。学校の校庭に整備した仮設住宅に集会所が設置されていないと指摘。宅地のかさ上げや高台移転に対する国の助成を具体的に示すよう求めました。
 中嶋久吉大船渡水産振興連絡会会長は、市内4漁協の代表として発言。越喜来地区の復興協議の中で住民のよりどころとなる集合的施設の整備を要望。漁業の問題では県営漁港の整備と高潮対策を求めました。また、養殖漁業、生物共済のあり方についても改善を求めました。佐藤泰造大船渡湾冷凍水産加工業協同組合代表理事は、被害を受けた水産物の海洋投棄は市の補助を受け今週いっぱいで処分できる。9割の事業者が再開の意向を示している、復興して自宅待機や解雇した労働者の雇用を守りたいが、限度を超える債務超過対策を示してほしい。国の対応があまりにも遅すぎると述べました。菅生新一大船渡農協代表理事組合長は、多くの水田・農地ががれきと泥で覆われている。2次被害防止のため仮設堤防・排水路の整備を求めました。冠水した農地や流出した農業機械・資材等に農業者再建支援給付金制度又は見舞金等の検討、二重債務対策を要望。最低3年間の被災農家を雇用し、復旧・整備の事業、復興基金を活用した園芸施設や納期のリースの仕組みを求めました。斉藤俊明大船渡商工会議所会頭は、犠牲者を出さない津波に強い安全なまちづくり、学校は避難場所としても一番安全な場所に整備するよう求めました。主要な企業が被災を受けたと述べるとともに商店街が生まれ変わるチャンス、高台にシフトするか公共施設などと一緒の整備することも必要。インスタントラーメン関係の企業誘致を主張しました。佐野秀一大船渡市社協会長は、災害ボランティアは1万人を超える。秋田・愛知からの支援が7月にも引き上げられるかもしれないので独自の体制強化が必要。緊急生活福祉資金(1億2千万円)、特に修学資金の利用が増えている。介護事業は利用人員が減少し、パートヘルパーが削減されていると述べました。岩城恭治NPO法人夢ネット大船渡は、仮設住宅で買い物難民の状況が出ていると指摘し、集会所に店舗も設置できるよう求めました。県道・国道・鉄道をかさ上げし、その上にまちづくりや多機能ビルの建設をと述べ、高台移転は道路整備や下水道整備などが必要となると課題を指摘しました。
 大船渡・陸前高田市内の被災状況を見ながら陸前高田の懇談会会場である高田一中に行きました。

ガレキの早急な撤去と処理を
公共施設の整備・土地確保に特別の対応を


 戸羽太市長は、ガレキの撤去について市は一時保管場所にがれきを運んでいるが、そこからひとかけらも処理されていないと指摘し、早急なガレキの撤去を求めました。県が国に提起している特区制度については、9項目だけに限定するのではなく対応できるようにしてほしい。仮設住宅の後に入居できる県営・市営住宅について仮設は2200戸建設したが公営住宅1200〜1300戸必要になるのではないか、国の補助率の引き上げを求めました。また、学校や消防署も被災し新たな場所に建設しなければならないが、土地の確保に補助制度がない。霞が関・永田町と被災地の感覚が違うと指摘し、被災地の立場を理解して対応をしてほしいと強く求めました。
 佐々木財広田湾漁協組合長は、海のガレキの撤去、地盤沈下と漁港のかさ上げを要望、秋サケに向けた定置網漁に向けた市場の機能、水産加工、買受人、冷蔵庫等の一体的な整備を求めました。白川周一大船渡農協理事は、371haの農地のうち73%に当たる274haが被害を受けた。圃場整備であと10年も償還が必要な農地もあり、特別の措置をお願いしたい。沿岸の牧草からも放射性セシウムが検出されたが、最悪の事態を踏まえて対応すべきではないかと述べました。阿部勝也商工会会長・建設業協会会長は、700事業所の80%、560事業所が被害を受け、20%の138人が死亡・不明となっているが、65%が事業再開をめざしていると述べました。實吉義正観光物産協会副会長は、350年かけてつくられた高田松原が流されたが、観光と市のシンボルとして復興させたい。1100年の気仙の文化財も流出したと発言。大阪富夫社協事務局長は、津波で会長、事務局長が犠牲となり嘱託であった自分が事務局長を引き受けた。この間2万人のボランティアを受け入れた。高速道路の無料券の発行が大船渡振興局となっていることが不便と指摘。ボランティアに冷たい水も出せないのは残念と述べました。

県立病院に病棟確保を
高田高校の早期整備を


 県立高田病院の石木幹人院長は、津波で医療は壊滅的な被害を受けたが、臨時診療所や全国の支援で頑張ってきた。高齢者医療に取り組んできた高田病院として病棟の確保は院長、職員全員の要望だと強調。阿部重人校長会会長は、市内5校の校舎が使えず、1校は20キロメートル離れた廃校舎を、4校は小学校に間借りしている。体育館は避難場所・資材置き場になり、校庭には仮設住宅が建設されている。体育・部活動ができず、土地の確保が必要と述べました。児童の心のケアでは家庭が正常な生活でないことから長期的な見通しでやっていくこと。通学路の安全対策、教職員の住宅の確保を求めました。県立高田高校の整備について、1年生が高田で学べないことがないように早期の整備を求めました。
 戸羽市長は質問に答えて、県立病院や介護施設、学校の整備を一つのゾーンとして整備し、商店街やバリアフリーの住宅なども考えたいと述べました。また、県立病院と県立高田高校の整備ついては、明日県に要望する予定だと述べました。


《2011年6月18日》
被災者救援・復興に向けた取り組みの交流・強化へ
関係議員団長会議開く


 6月18日、7・9東日本大震災津波救援・復興岩手県民会議の結成に向け、被災地での取り組みを交流・強化するために関係議員団長会議を開きました。
 はじめに、私からこの間の被災者救援と復興に向けた県内の取り組みと課題を報告し、各地の活動を交流しました。宮古市の田中尚市議は、宮古市がワカメ・コンブ等の養殖施設整備に8億円余の独自の補助制度を打ち出し漁業の再建に取り組んでいること。仮設住宅では結露の問題や風呂場への換気扇設置の要望が出されていると発言。釜石市の菊地孝市議は、復興に向けて住民説明会が2回目を迎えている。市と議会は30年と1200億円かけて完成したばかりの湾港防波堤が今回の津波で破壊されたにもかかわらず、被災者の生活再建より湾口防の復旧を主張している異常な事態を報告。仮設住宅では下駄箱、手すりの要求が出されていると述べました。
 陸前高田市の藤倉泰治市議は、被災地の情報が少ない中、市が臨時広報を現在週3回発行し、自治労連のボランティアが増す刷りしてすべての行政区に配布していることを紹介。県立高田病院が市とともに市内4カ所で住民懇談会を開催し、地域医療を守り病院再建への強い願いが出されていると報告。復興の町づくりについては地域に合った交通網の整備とJRの再建が必要と述べました。仮設住宅には業者によってピンからキリまであり、改善が求められていると強調しました。また、戸羽市長は「日本でいちばん市営住宅の多い町にしたい」と述べていることも紹介しました。陸前高田市委員会では、毎週民報を発行し、党議員団をはじめとした活動や市の動きを紹介し好評を博しているとの報告もありました。
 大船渡市の滝田松男市議は、「この間16〜17ヶ所で青空市を行ってきた。『共産党は大したものだ』の声も。大船渡市の復興計画案について住民懇談会が開かれているが、『具体性がない』の声が多い。地域では地区公民館長会議が開かれ地域の町づくりの議論が行われている」と報告。共産党・民商・地域労連などで構成する「大船渡市政と市民の暮らしを考える会」は6月6日、戸田公明市長に対して申し入れを行ったが、甘竹市長の時は市長が全く対応しなかったとのこと。
 内陸部の庄子春治盛岡市議、一関市の菊地市議、奥州市の今野市議からも、市内の被災者・避難者への支援状況、原発問題への対応、高速無料化問題への対応の問題などが報告されました。
 被災地域での共同の取り組みを強め、7月9日に結成予定の東日本大震災津波救援・復興岩手県民会議結成のつどいに向けて、さらに取り組みを強化していくことを確認しました。


《2011年6月17日》
献身的な医療活動にこたえ壊滅した県立病院の再建を
県医労第67回定期大会で挨拶


 6月17日、県医療局労働組合は結成60周年を迎えました。盛岡市つなぎのホテルで開催された県医労第67回定期大会に出席し挨拶してきました。東日本大震災で県立病院も高田、大槌、山田の各病院が壊滅的な被害を受けるとともに、医療局職員が10名死亡・行方不明となっています。家族を失った職員も多数いる中、患者の救出と避難した後も臨時診療所を開設するなど不眠不休の取り組みを行っていることに心から感謝と敬意を表しました。県立釜石病院や大東病院が地震で被害を受け517床が使えなくなりました。ところが医療局は住田診療センターなどの活用できるベットを活用しようともしていません。岩手県は復興の基本方針案を決めましたが、最大の問題は、復興の町づくりの核となるべき県立病院の再建が示されていないことです。当面仮設診療所で外来機能を確保するというだけで、6月臨時県議会の議論も紹介し8年計画の復興基本計画案に盛り込まれていないのは異常なことと指摘しました。
 また、福島原発事故に触れて、原発と国民が共存できないことが明らかになったこと。県南・沿岸の牧草地にも放射性セシウムが基準値を超えて検出されたことも指摘し、原発廃止に向けた国民的運動と討論を呼びかけました。


《2011年6月16日》
東日本大震災津波救援・復興岩手県民会議(仮称)結成へ

 東日本大震災岩手県共同対策本部の鈴木露通本部長(いわて労連議長)らは16日、県庁で記者会見し、7月9日に「東日本大震災津波救援・復興岩手県民会議」(仮称)を結成すると発表しました。
 結成の呼びかけ人として、東幹夫(日本科学者会議岩手支部代表幹事)、加藤善正(県生協連会長理事)、中里長門(前陸前高田市長)、箱石勝見(県保険医協会会長)、前川慧一(釜石地域革新懇事務局長)、渡辺喜代子(県母親大会連絡会会長)の6氏が名を連ねています。
 岩手県は9日に復興基本計画案を発表し、パブリックコメントや地域説明会を実施しようとしています。
 会見で鈴木氏は、同案に被災者の声が反映されるように、県民会議も政策的な提言を発信していくと説明。結成に向けて被災地の住民組織などにも幅広く参加を呼びかけたいと語りました。
 中里氏は、行政と住民が一体となって安心・安全なまちづくりに取り組むためには、国や県が前例にとらわれない支援をすることが必要だと強調し、県民会議の活動をその力にしたいとのべました。
 県民会議の結成総会は、7月9日の午後1時半から盛岡市の勤労福祉会館大ホールで開かれます。


《2011年6月14日》
洋野町議選で久慈裕子候補の第一声で応援

 6月14日、東日本大震災で延期されていた洋野町議選が告示され、久慈裕子候補の第一声に駆け付け応援してきました。朝7時過ぎに盛岡を出発し滝沢から高速に乗り軽米インターに、9時前には洋野町大野庁舎に到着し久慈裕子候補事務所に。9時30分過ぎからの第一声で、住宅リフォーム助成の実現など洋野町議会になくてはならない久慈裕子候補への力強い支援を訴えました。洋野町も東日本大震災津波で漁業と漁港、水産加工施設など大きな被害を受けました。日本共産党は全国で集めた義援金を被災した県、市町村、24の漁協、農協に届けるとともに、全国からボランティア支援に取り組んでいると紹介し、救援・復興の取り組みのためにも久慈裕子さんを議会に押し上げてほしいと述べました。町政の問題では、破たんした民間の入浴施設を町が購入し修理費用を含め1億円も税金を投入する一方で国保税を1人当たり9千円も引き上げるなど逆立ちした町政の実態を厳しく告発し、国保税の引き下げ、子どもの医療費の中学校卒業までの無料化のために頑張る久慈候補が住民の暮らしを守るためにもなくてはならないと訴えました。また、町議会は予算を審議した3月議会でも一般質問はたった3人だけ、今回の町議選でも宣伝カーを出さない申し合わせをするなど、県内でもっとも活力のない状況になっていると指摘。毎回の議会で質問し、民報で議会報告してきた久慈裕子さんの議席は町政にとっても、町議会にとってもなくてはならないと強調しました。


《2011年6月13日》
核兵器のない世界を、大震災被災者救援・復興、原発ゼロへ
2011国民平和大行進が盛岡入り、150人が行進・集会開く


 6月13日、「歩こう核兵器のない世界を!大震災被災者救援・被災地復興!自然エネルギーへの転換を!」を掲げて、北海道利尻島を出発した2011国民平和大行進が盛岡入りし、盛岡市内を行進しました。午後6時過ぎに県公会堂前に到着した行進団は公会堂21号室で岩手県集会を開き、渥美健三県原水協筆頭代表理事、日本原水協の田中章史代表、被団協の三田健二郎事務局長があいさつ。私も東日本大震災の被災状況を報告し、福島原発事故の教訓を踏まえ原発廃止への決断が求められていると発言しました。集会では岩手大学、盛岡大学、神奈川原水協の代表がリレートークし、集会アピールを採択しました。


《2011年6月12日》
大震災津波から3カ月―陸前高田市、宮古市田老の被災状況を調査
阪神淡路大震災救援復興県民会議の方々と被災地を回る


 6月12日、阪神淡路大震災救援復興兵庫県民会議(代表、菊本義治兵庫県立大学名誉教授)の方々を案内して、大震災津波から3カ月が経過した被災地の状況を調査してきました。
 9時35分花巻空港着で岩手入りした兵庫県民会議の5人の調査団を迎え、陸前高田市に向かいました。
 
住田町の木造仮設住宅を見る
網戸もひさしも設置され快適の声


 途中住田町火石地区に建設された住田式木造仮設住宅を視察しました。1戸建ての仮設住宅で玄関には網戸とひさしも設置されています。入居者に住み心地を聞きましたが「快適」とのこと。日差しも良く洗濯ものもいっぱい干されていました。兵庫県民会議の方々も大変感心していました。
 
積まれたがれきが撤去されず、漁港も地盤沈下で浸水
「国・県の取り組みが遅すぎる」―戸羽市長が訴え


 11時30分、陸前高田の共同支援センターに到着し藤倉泰治市議と合流、毎日開催されている青空市を見て、市内の被災状況の視察に回りました。4回まで浸水した県立高田病院、3階まで浸水・屋上まで浸水した市役所、数万本の松原と防潮堤が流された海岸線、国道45号線には石が積まれていましたが海水面の方が高い状況です。遠くに見える「奇跡の一本松」も枯れつつある状況に。脇の沢漁港も防波堤が破壊され、地盤沈下と合わせて波が岸に押し寄せています。とても船をつけられる状況ではなりません。漁港はガレキの集積場所にもなっていました。米崎中学校の校庭に設置されている仮設住宅を見て共同支援センターにもどり昼食。
 午後1時に、陸前高田市の仮設庁舎を訪ね、戸羽太市長から被災状況と復興の取り組みについて聞きました。2階建ての仮設庁舎には市長室がやっと設けられていました。戸羽市長は市内の被災状況を大きな写真で詳しく説明。市役所の職員も正職員で68人、臨時を含めると105人が犠牲となったと述べました。「法律の壁があって復興が進まない。国は政局ばかりで被災地の声が届いていない」と厳しく訴えました。がれきの撤去についても「市は一時保管場所に集積しているが、そこから県は全く処理していない」、「県は6月22日から太平洋セメントで日量300トン処理するというが、高田市で90万トン、大船渡市で80万トンのがれきがあり、処理に時間がかかりすぎるのではないか。県の動きも見えない」と指摘しました。県の復興委員会についても「被災地からの代表が3人しか入っていない、被災地の状況が届いていないのではないか」と危惧の声。
 復興については、「土地をどう利用するのかが大問題。国が買い上げか借り上げをしてほしい」「農振地域の解除も速やかにしてほしい」「消防署や学校も全壊したが、同じ場所には立てられない。建物には補助があるが、土地には補助がない」「国のスピードが遅すぎる」と率直に指摘しました。戸羽市長は、7月には復興プランの青写真を示し、11月に復興プランを策定したいと述べました。
 
釜石市の中心商店街、両石町・鵜住居町、大槌町の被災状況をみる
 
 陸前高田市からは三陸縦貫道で釜石市に移動。途中高台に移転し住宅の被害がほとんどなかった大船渡市吉浜の状況、釜石市の中心商店街の被災状況を見ました。商店街は、被災した建物は残っているものの、解体が必要な状況で今後の町づくりと商店街の復興の難しさを痛感させられます。釜石市両石町・鵜住居町の壊滅した状況を車中から見ました。死者・行方不明者の比率が一番高い大槌町の津波と火事による被災状況には、阪神淡路大震災を経験した兵庫県の方々も絶句の状況でした。
 
防災の町・田老―防潮堤とまちづくりの源流を聞く
巨大津波の冷静に対応した行政と住民

 
 午後4時過ぎに宮古市田老総合事務所に到着。崎尾誠宮古市議と合流し、「万里の長城」といわれてきた高さ10メートル・長さ2433メートルの防潮堤の現場で、田老町の防災行政に取り組んできた岩手県防災士の山崎正行さんから田老の防災の取り組みについて聞きました。
 田老の防潮堤は、昭和8年3月3日の大津波の2日後には、当時の石黒県知事と関口田老村長が国会に駆けつけ、防潮堤の建設を陳情し、帰りには関東大震災後の都市計画に関わった二人の技師を連れて帰ってきたとのこと。10月には計画を作成し翌年には着手されたとのこと。防潮堤は津波を防ぐ目的ではなく、津波の勢いを弱め、時間を稼ぎ人命を守ることを目的にしていたとのこと。「防浪堤」といわれていたそうです。1960年のチリ地震津波後に建設された海側の堤防は、高潮対策の堤防で住宅を守るものに変えられたとのこと。田老の町も碁盤の目状にどこからでも避難場所が分かるように作られた。当時、車のなかった時代だったが、交差点にはしっかりした角切りがつけられていたとのことです。高さ10mを意識した町づくりで、旧田老町役場もその地点に建てられていました。避難道も急傾斜地事業を活用して軽トラックが通れる真中には階段がつくられていました。防災の町は防潮堤だけではなく、町づくりにも貫かれていたことに感心しました。
 3月11日の大津波の時にも、防災の担当者は冷静に、すべての避難場所を訪問し避難者の状況を把握するとともに、避難者自身がボランティアとして活動したと語りました。衛星電話で県や県振興局とは連絡がついていたとのことです。それでも巨大津波は明治の津波、昭和の津波を超えるものとなり、海側の堤防を破壊し、内側の10mの堤防を乗り越えて田老の町を飲み込みました。町の95%に当たる1500世帯が全壊・大規模半壊被害となりました。堤防だけでは守れないことを改めて示した津波でした。
 
田老漁協の小林組合長から漁業被害と復興の取り組みを聞く
 
 調査の最後に田老漁協を訪問し小林昭栄組合長から漁業問題について被災状況と復興の取り組みを聞きました。組合員の46人が犠牲になり、531世帯のうち280世帯の家が全壊、船は960隻のうち48隻しか残らず、養殖施設は壊滅です。組合員と漁協の被害額の合計は75億円に及びます。それでも7月からのワカメの採苗、10月からの種付けの準備をしようとしています。宮古市が養殖施設の整備に10分の8補助、9億円の予算を付けました。県も船の確保・養殖施設の整備に9分の7の補助を決めたことから、漁の再開に向けて青壮年部が天然ワカメの漁に出ているとのこと。復興に向けた取り組みを始めています。当面、養殖で100隻、アワビ・ウニ漁で250隻の確保をめざしています。製氷施設も破壊され整備が必要ですが、国・県の補助は機器類だけで建物の補助がないことが問題と指摘されました。100人が働いていた加工場と冷蔵庫、サケふ化場の再建も必要です。頑張っていますがそれでも養殖に復帰しようとしているのは7割にとどまっています。9月からの定置網漁に向けては、漁場の調査が必要で、ソナーで調査したら大きな船や自動車が埋もれていたとのこと。海の透明度も悪いと述べていました。


《2011年6月11日》
東日本大震災から3ヶ月―街頭から救援募金を訴え
原発からの撤退を求める署名活動も展開


 日本共産党岩手県委員会は、東日本大震災・巨大津波から3ヶ月を迎えた6月11日、盛岡地区委員会と合同で街頭から救援募金を訴えるとともに、原発からの撤退を求める署名活動に取り組みました。
 斉藤県議や菅原則勝県委員長は、「東日本大震災から3ヶ月。県内で死者4532人、行方不明者2787人、避難者は2万人を超えている。仮設住宅への入居も始まっているが、以前深刻な事態は改善されていない。この間日本共産党へ全国から6億6千万円の救援募金が寄せられ、岩手県をはじめ自治体、農協、漁協に1億4100万円を届けた。引き続き募金に協力を」と訴え、原発ゼロを求める署名も呼びかけました。
 袋に詰めてきた小銭を募金箱に入れてくれた方、原発からの撤退を求める署名に、車を止めて協力するなどの光景が見られました。
 11日は、みちのくの初夏の風物詩「ちゃぐちゃぐ馬っこ」の日・県外から観光に来ていた方からは、「大変だと思いますが、頑張ってください」と話し募金や署名に応じていました。


《2011年6月10日》
被災した県立病院の再建を軸に沿岸地域医療の復興を

 6月10日、岩手県地域医療を守る住民組織連絡会(代表、及川剛)と地域医療の充実・県民の命を守る連絡会(代表、鈴木露通)は達増拓也岩手県知事と遠藤達雄県医療局長に対し、「東日本大震災の岩手県沿岸地域医療の復興対策についての要請書」を提出しました。小田島智弥保健福祉部長と遠藤達雄医療局長が対応し斉藤県議と自民党の2県議が同席しました。
 要請では、@訪問診療や仮設診療所等への支援、A民間医療機関の二重債務問題の解消、B使用不能となった県立高田病院、大槌病院、山田病院の再建と住田診療センターのベットの活用、C県立釜石病院、大東病院の機能回復などの6項目の実現を求めました。とくに県立高田病院、大槌病院、山田病院については当面仮設診療所の整備を行うとしているものの、病院の再建については9日に県が決めた「復興基本計画(案)」でも全く触れていません。復興の町づくりの核となる県立病院の再建を図るよう強く求めましたが、遠藤医療局長は、「当面仮設診療所の整備と運営に努める」としか答えませんでした。地域の中核病院である県立釜石病院については地震の影響で26床しか使用できない状況となっていますが、盆明けから10月までには246床が使用できる見込みと答えました。民間医療機関の仮設診療所整備についても県が予算措置し支援を強化すると回答がありました。


《2011年6月8日》
臨時県議会で1800億円余の補正予算を可決
避難者の生活環境の改善、水産業振興対策などについて質す


 6月8日、臨時県議会が開かれ、東日本大震災・大津波による救援・復興のための2度目となる補正予算、総額1849億9千万円を全会一致で可決しました。
 本会議で議案に対する質疑に立った斎藤県議は、避難所の生活環境について、3カ月が経過しようとしているにもかかわらず、国・県の調査でも「入浴が週1回程度」が25%に及ぶなど劣悪な状況となっていると指摘。避難所の実態と改善状況について質しました。達増知事は、「『一日3食提供され、主食・主菜・副菜がそろった食事が1日に2回以上提供されている』避難所は84%。入浴については仮設風呂の増設などの支援を行なっている」と回答し、「市町村における避難所経営に関する意向も確認しながら、必要な支援を早急に行っていく」と述べました。
 斉藤県議は、義援金の受給対象に、宮城県や福島県のように兄弟姉妹を加えるべきと指摘。小田島保健福祉部長は、「県弁護士会や被災市町村長からも同様の要請があることから、現在支給対象の見直しについて検討を進めている」と答えました。
 また788億円余の予算が盛り込まれた水産業振興に関する事業について斉藤県議は、漁船の確保の見込み、漁業者のさらなる負担軽減策などについて質しました。東大野農林水産部長は、中古船・修理船で950隻、新たな小型船2600隻を確保し、定置船等5トン以上の漁船建造・修繕は合わせて150隻程度。この事業において、国および県の補助3分の2のほか、県は9分の1の補助かさ上げをする」と答弁。また養殖漁業については、「今回の補正予算でワカメ・昆布養殖施設を中心に約4割の復旧を図る」と述べました。
 さらに復興基本計画案について、復興の主体はあくまで主権者である地域住民であることを明記し、あらゆる構成団体との連携を図るべきと強調しました。

 質疑の大要については、「議会報告」をご覧ください。


《2011年6月2日》
三陸沿岸漁業の復興へ早急な対策を
党沿岸議員団とともに三陸沿岸漁業の復興を求める申し入れ


 6月2日、党岩手県委員会は達増知事にたいして、東日本大震災による津波で甚大な被害を受けた三陸沿岸漁業の復興を求める申し入れを行いました。斉藤県議のほか、陸前高田市、大船渡市、大槌町、久慈市の議員らが参加し、東大野潤一農林水産部長が応対しました。
 岩手県の漁業・水産業の被害額は、推計でも3137億円に上っています。斉藤県議は、「国に第二次補正予算の早期成立を求めるとともに、県としても漁業・水産業の復興へ希望が見える対策を講じてほしい」と強調しました。
 斉藤県議は、サケの定置網の敷設のために8月までに漁船と漁具を確保できるように支援し、共同利用の養殖施設整備に全面的な助成をするべきだと指摘。魚市場の復旧を早急に進め、民間水産加工会社へも支援を行い、漁業者や水産加工会社の二重債務への解消策を講じてほしいと要請しました。また、収入が得られるまで漁業者の雇用確保対策を継続・強化するべきだと提起し、漁港の集約化ではなく、各漁港の早期復旧を推進してほしいと述べました。
 参加者からは、「漁港の地盤沈下が深刻な状態で、岸壁の復旧が必要」(陸前高田市・藤倉市議)、「函館漁協から漁船を提供されるが、登録手続きを早くしないとウニ漁に間に合わない」(久慈市・小野寺市議)などの声が出されました。
 東大野農林水産部長は、「漁期に合わせた対策を講じたい」と回答。「県の二次補正では国の二次補正への要望を一部先取りすることも検討している」と説明しました。

 申し入れ文書の全文、申し入れでのやりとりの大要は「政策と活動」をご覧ください。