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《2012年9月29日》
紫波町の松くい虫被害の状況を調査、国政・議会報告会
高橋衆議院議員、八幡1区予定候補とともに藤原町長と懇談


 9月29日の昼過ぎ、高橋千鶴子衆議院議員、八幡しの衆議院岩手1区予定候補、紫波町議の細川恵一、及川ひとみ両町議とともに、紫波町の松くい虫被害の調査を行いました。
 道の駅赤沢のある国道396号線と交差する主要地方道紫波江繋線の両側は、松が松くい虫被害で枯れていて、いつ倒木してもおかしくない状況です。道路の側には東北電力の電線、NTTの電話線、紫波有線が張り巡らされています。学校給食センターもあり交通量も多いところで早急な対策が必要と感じてきました。
 4時からは紫波フルーツパークで藤原孝町長、株式会社森の寺子屋塾の高橋米勝塾長と懇談しました。藤原町長は、平成12年に松くい虫被害が確認されて以来、国・県の補助事業を活用し防止対策に取り組み10年間にわたって食いとめてきたが昨年盛岡市にまで広がる事態となった。3年前の大雪で雪折れが出て、翌年の暑さも絡みここ2〜3年で一気に被害が広がった。県内でも最も被害が深刻ではないか。間伐して樹種転換が必要な状況だと話しました。岩手の森県民税が活用できないか岩手県に相談している。間伐・全伐となれば50億円以上かかるのではないか。国・県の支援がどうしても必要と述べました。高橋塾長は、道路に隣接する枯損木は、いつ倒木してもおかしくない状況だ。通勤、通学時に危険性が高く早急な処理が必要と述べました。森林の整備には、路網の整備、機械化、人材の育成が必要と指摘。森の寺子屋塾は今、森林作業の経験者のベテラン9人で取り組まれているが、後継者の育成が必要、緑の雇用事業にも取り組みたいと述べました。国・県でのさらなる対応の強化について連携して取り組むことを約束しました。
 午後1時半から3時過ぎまで、野沢公民館で国政・議会報告会が開かれ、50人を超える地域の方々が参加しました。高橋千鶴子衆議院議員は、尖閣諸島の領土問題について、日本共産党の提言の内容を説明するとともに志位委員長が中国大使と会談したことを紹介しました。また、消費税の大増税を食い止めるためにも来るべき解散総選挙で大きなご支援を訴えました。八幡しのさんは、なぜ立候補を決意したか。被災者の立場に立った震災の復興と医療で働いてきた経験を生かし、社会保障の拡充と青年の雇用のために頑張りたいと話しました。細川恵一・及川ひとみ両紫波町議が議会報告。私も飛び入りで、昨日の被災地大槌町の実態や課題、被災者の住宅と仕事を求める切実な声、県立病院再建の課題などを話しました。参加者から質問・意見も出されました。


《2012年9月29日》
城東地区9条の会が原発問題講演会開く
岩手大学教授の西崎滋氏が講演


 9月29日、城東地区9条の会は盛岡市のホテル山王で原発問題講演会を開催し、約30人が参加。岩手大学人文社会学部教授で理学博士(素粒子、原子核、宇宙物理)の西崎滋氏が「福島原発事故の放射能汚染による私たちの暮らしへの影響」と題して講演しました。
 西崎氏は、東京電力福島第一原発で起こった事故について、「地震検知後、原子炉は自動停止したが、外部電源が喪失。ディーゼル発電機が起動し冷却を行ったが、津波襲来後全交流電源が喪失し、冷却機能が喪失したと同時に放射性物質を閉じ込める機能も喪失した」と説明。国際原子力事象評価尺度レベル7の深刻な事故となったと述べました。西崎氏は、身の回りに存在する放射能・放射線や人体への影響について触れ、白血球の減少や白内障、1シーベルトの全身被爆で致死ガンの確率が5.5%(ICRP・2007年勧告)という報告もされていることを紹介しました。
 原発事故の投げかける問題について西崎氏は、冷却材の喪失や炉心融解事故のような苛酷事故が起こりマニュアル通りでは対応できないこと、地震や津波対策の不備など安全より経済性を重視してきたことなどを指摘。セシウムの物理的半減期は30年であることも告発しました。
 参加者からは、「今後の生活を考えると絶対に原発はやめるべきだが、再稼働の問題や経済界の方々の発言は理解できない」、「原発に関する民意を反映させる機会が必要だ」などと言った声が出されました。
 福島市から盛岡市に娘を連れて引っ越してきた母親からの手紙も紹介されました。


《2012年9月28日》
被災地大槌町の課題を調査、被災者と懇談
大槌病院、町長、大槌高校を訪問懇談


 9月28日、高田一郎県議とともに被災地大槌町の現状と課題について調査してきました。
 朝8時に盛岡を出発、国道106号から340号に入り、土坂峠を越えて大槌町に入りました。阿部俊作町議と合流し10時半過ぎに浪板の仮設住宅を訪問。集会所でお茶っ子会が開かれているところにお邪魔して話を聞きました。「大槌病院の再建では救急に対応できる病院として整備してほしい」「仮設回りのバス、町民バスの回数が少ない。県交通のバスも国道45号だけでなく回ってほしい」「家を建てたくても土地がない。いつまで仮設にいるのか、さびしい」「復興の取り組みが見えない」「空いている仮設住宅はお盆などに帰省する人に活用させてほしい」など切実な声がたくさん寄せられました。しっかり受け止めて対応することを約束しました。

県立病院の再建は安全性とスピードが大事
医師などの住宅の確保、50床規模は必要


 12時半に県立大槌病院の仮設診療所を訪問し岩田千尋院長と懇談しました。岩田院長は、病院の再建整備について「スピードと安全性が大事」と強調。津波など災害にあわない安全な高台に早く再建整備する方針を示さないと医師の確保もできないと話されました。また、病院、駐車場とともに医師等の宿舎も一体で整備するには1万3千平方メートル規模が必要になると述べました。必要な病床数については、震災前は60床で五十数人が入院していた。人口減少もあるが50床規模は必要になるのではないかと述べました。現在外来患者は1日平均92人、医師は常勤で内科が4人、外科が週2回、整形外科が週1回と月2回、眼科が週1回、皮膚科が週1.5回。病院の候補地としては県立大槌高校のグランドが上がっているとのことでした。

公共用地の不足、章句員も不足
用地取得に特別な対応を

 
 午後2時に大槌町役場を訪問し碇川豊町長と懇談しました。大槌小学校を改修した仮役場はきれいに落ち着いた雰囲気の役場に様変わりしていました。碇川町長は、県立病院の用地を含め公共用地がないと指摘。病院の再建には安全とスピードが必要とも述べました。また、用地の確保には地権者が多く、不明なものもある。時限立法的に所有権を確保できる対策が必要ではないかと述べました。復興で仕事量が膨大となっているにもかかわらず、職員の確保が間に合わない。現在職員数は191人となっているが、うち応援の職員が63人、多くの応援を頂いているが100人の要請には届いていない。また、1カ月、3カ月、6カ月、1年交代で引き継ぎも大変。丁寧に取り組んでいると話されました。職員のメンタルケアの必要も強調されました。
 午後3時からは、県立大槌高校を訪問し、山形守平校長から話を聞きました。大槌町の教育長からは高校のグランドを、統合する小中一貫校の予定地として活用させてほしいとの要請が来ていること。県立病院の話はまだないと話されました。高校のグランドの活用については、代替のグランド確保が前提になること。小・中・高校が同じ敷地でいいのかの議論もあると述べました。震災後の生徒の状況について、1年半が経過してストレスを抱えている。仮設住宅からの通学は約4割、被災者は約7割に及ぶ。今年度は地元大槌中学校からの入学者が増えたとのこと。交通事情も悪く約100人が自家用車での通学となっていました。4月の人事異動で3分の1の教員が変わったので、職員会議で情報共有を重視している。教員にも疲れが出ている。宿舎が確保できず、宮古市や遠野市などから通勤せざるを得ない状況もあると話されました。震災加配教員が4名いますが来年度も継続できるよう要望されました。
 仮設商店街きらりで、震災後から大槌町に駐在している朝日新聞の東野真和さんとコーヒーを飲みながら大槌町の課題と印象などについて話しました。「情報とマンパワーが不足している」との指摘は重要と感じました。復興計画の内容や進捗状況について、地元新聞がなく情報が住民に行き届いていないことは、他の地域と比べても歴然としています。NPOが「大槌新聞」を独自に発行(100部程度、各集会所などに配布)していて、寄付金や広告を集めて全戸に配布を検討しているようですが、実現を期待するものです。


《2012年9月21日》
大船渡の事業所の再建状況と雇用問題を調査
県立高田病院石木院長と懇談


 9月21日、高田一郎県議とともに大船渡商工会議所、大船渡職業安定所、おおふなと夢商店街、県立高田病院を訪問し、事業所の再建状況、雇用状況、県立高田病院の現状と今後の再建の方向などについて調査してきました。

資金調達(二重ローン)、売り上げ・収益の見通し、土地確保が課題
グループ補助の決定は4割弱

 
 午前11時に大船渡商工会議所を訪問し、新沼邦夫事務局長から会員事業者の再建状況と課題について聞きました。昨年9〜10月に実施した第2次会員被災状況調査では、1786社のうち1493社(回収率83.6%)が回答し、津波による被災事業者が962社(64.4%)、うち全壊765社(51.2%)、半壊119社(8.0%)、一部損壊48社(3.2%)となっており、地震被災では全壊3社、半壊17社、一部損壊191社(12.8%)。被災しなかった316社(21.2%)という状況です。復旧・復興の状況では、すでに業務を再開しているが595社(50.1%)、一部再開が239社(20.1%)、いずれ再開したいが185社(15.6%)で合わせて85.8%となっています。
 抱えている問題点では、資金の調達・借り入れ(二重ローン含む)が31.3%、売り上げ・収益の見込み18.8%、土地問題12.2%となっており、今後の課題では、売り上げ・収益の見込みが24.8%で第1位となっています。仮設店舗は昨年12月から取り組まれ4月現在243件の申請に対し181区画の完成となっているとのこと。
 新沼事務局長は、今第3次のアンケート調査を行っているが10月末までに集約し、その後未回答となっている293社(16.4%)のフォローアップする予定と述べました。グループ補助では申請の4割弱しか決定されていない。早期で大幅な拡充が必要と指摘。二重ローン対策では相談件数は100件近くに上っており、2年半の期間では対応できないと事業の延長を求めました。現時点では、住宅の確保、仮設店舗から本説への対策が切実な課題となっていると述べました。商工会議所の事業所の再建は用地のめども立ち建物の入札も終わっているが国の補助金が決まらず進んでいないと述べました。

おおふなと夢商店街―集積した力で頑張る
今はアイデアも情報も寄せられる

 
 午後から、大船渡駅東側に仮設店舗の商店街を形成して頑張っているおおふなと夢商店街協同組合を訪問し、伊東修理事長から取り組み状況について聞きました。
 隣にスーパーマイヤの店舗ができていて売り上げに影響があるのではないかと聞きましたが、伊藤理事長は「影響はない」「今年3月の家族に乾杯やNHKのあさイチで取り上げられたことが大きい」「売り上げは震災前の7〜8割程度、店によっては超えている人もいる」とのこと。3月8日からは月2回、朝市にも取り組んでいるとのこと。グループ補助金も決定しているが、ばらばらにならないように瀬戸内で成功している「海の駅」も調査し、今後の本格的な再建も考えているとのことでした。伊藤理事長は「今は全部シャッターが開いている。いろんなアイデアや情報が寄せられる」「集積した力でやれば大型店にも対抗できる」と元気に話されていました。隣の屋台村も元気だとのこと。しかし、神戸の商店街の話では、「震災特需は2年程度で、その後は半分以下に落ち込む」と言われており、大船渡の景気動向をつかんで取り組みたいと話していました。

被保険者は94%まで回復、有効求職者は震災前の水準に
水産加工など再雇用は約8割、新規学卒者の求人大幅増

 
 大船渡職業安定所(ハローワーク大船渡)を訪問し、伊藤忠雄所長から大船渡管内の雇用状況について聞きました。昨年の震災後、5月には有効求職者数が4758人となり、約3000人増加したが、今年の8月の見込みでは1766人と震災前の状況となっている。月末被保険者数も昨年5月11598人と約4400人増加したが今年の8月には15037人と震災前の94%、約1000人減のところまで回復していると話されました。来年3月卒業の新規学卒者の管内求人は56社、65件、195人とかつてない規模となっているが、管内求職希望は66人にとどまっているとのこと。北日本プライウッド(180人)が撤退したが、約6割が再就職しており、7月にはいわて吉田工業、8月には酔仙酒造、2月には岩手缶詰(158人規模)、来年1月には大洋産業が再建される予定で、太平洋セメント関連の求人も出ており、さらに雇用状況は改善されるのではないかと話されました。また、水産加工関係ではこれまで7回にわたって「震災復興応援工場見学会」などに取り組み、再雇用は約8割程度になっているなどミスマッチの解消に取り組んでいるとことでした。今後の課題では、正社員求人の確保、基金事業による約1000人の雇用の正社員への雇用継続など、量から質への取り組みが求められていると話されました。
 
高齢者の安全安心な医療めざして
県立高田病院の再建―80床は必要

 
 午後3時半には菊池幸夫党県国民運動責任者も合流し県立高田病院を訪問しました。石木幹人院長から県立高田病院の現状と今後の本格的な再建の方向性について聞きました。
 石木院長は、県立高田病院が復活しないと大船渡病院も大変になると矢島前院長が述べていたことを紹介し、大船渡病院との役割分担が必要と述べ、高田病院は「高齢者の安全安心な医療」をめざしていると述べました。ベット数は今の仮設病院は41床だが、75歳以上の高齢者は今後も30年間は減少しないことから、今後の病院の機能としては、前と同じ80床は必要と述べました。個人的意見として、50床規模で廃止の数も限られ、効率が悪く持たないのではないか、50床規模の病院は県立病院の場合も無床化されていると述べました。現在、外来患者は1日平均210人程度で、震災前の水準となっていること。訪問診療は震災前の20人から40人に増加。8人の応援医師を受け入れているが、来年度以降も5人以上の体制は取れるのではないかと述べました。健康講演会を市内各地で開催し、グループ討論なども行い、県立病院への要望などを聞いています。昨年は11回、今年は30回開催の予定とのことです。
 高田病院の建設予定地はほぼ決まっており、陸前高田市の計画では介護施設、小学校、保育所などが隣接し、高台移転の住宅が計画されている場所となっています。早期の再建・整備を進めることが必要と感じてきました。


《2012年9月20日》
一関市のシイタケ等の放射能汚染問題、花泉診療所を調査

 9月20日、高田一郎県議とともに一関市のシイタケ等の放射能汚染問題と花泉診療所の現状について調査してきました。
 午前10時過ぎに県南広域振興局農政部一関農林振興センターに行き、小岩一幸所長らから説明を受けました。シイタケ・ほだ木の全戸調査結果では、ほだ木は一関市の場合生産者329戸のうち315戸、96%が50Bq/kgを超過。しいたけ(生、乾)では、生シイタケ(露地)で90%、干しシイタケでは100%が100 Bq/kgを超過しています。農林振興センターでは、9〜10月で原木検査・安全な原木林マップを作製し、10月〜2月にかけて50Bqを超えるほだ木の移動・一時保管を市町村事業としてとして実施することにしているとのこと。牧草の除染(再生宅事業)では、昨年度680ヘクタール実施し、今年度は3100haの計画に対して620ヘクタールの着手状況となっています。除染後の牧草が100Bqを超過したのは249haのうち28ha、11.2%となっているとのこと。昨年と比べると全体として放射線の濃度は8割前後下がっているとのことです。放射能に汚染された農業系廃棄物の処分が問題と指摘がありました。
 
進まないシイタケの再生産と賠償

 その後、シイタケ農家を訪問しました。真っ先に東京電力に損害賠償請求を行ってきた佐藤敏男さんと徳谷真樹さんから話を聞きました。佐藤敏男さんのほだ場に行き、実態を見ました。1万5千本のほだ木が整然と組まれていましたが、ほだ木を移動する場所も、作業の手筈もない状況で、再生産を諦めざるを得ない状況とのこと。シイタケ栽培ができないだけでなく、仕事そのものが奪われた状況です。東京電力はほだ場を見に来たとのことですが、売り上げの証拠・領収書がなければ賠償の対象とせず、売り上げ分(5年分)しか見ないとしています。再生産の厳しさを痛感させられました。その後、厳美の道の駅の産直を見てきましたが、一関市のキノコはすべて出荷停止状態となっていました。

患者が戻らない県立花泉診療センター
 
 午後には民間移管が破たんし、4月から無床の診療所となった県立花泉診療センターを訪問し、佐川義明事務長から状況を聞きました。医師は内科、外科とも常勤で2名配置され、脳外科と外科が週1回半日応援を受けています。看護師3名、放射線技師1名(パート)、検査1名、事務2名、作業週1名、窓口業務は委託2名の体制です。土日の日直と平日の当直を委託しています。外来患者は1日平均27人で民間移管前が47人でしたから回復していない状況です。民間移管の破たんの後遺症が大きいと感じさせられました。訪問診療は3人です。
 佐川事務長は、時間をかけて信頼回復に取り組む以外にないと述べていました。また、定期バスのバス停を診療センター内に設置できないか相談しているとのことでした。


《2012年9月19日》
県政要望を聞く会開く―各界から20名以上が参加

 9月19日、日本共産党県議団は、県政への要望を聞く会を開き、各労働組合、民主団体から20名以上の方が参加しました。
 冒頭、高田一郎県議が「9月県議会が27日から開催される。決算特別委員会で全部局で質問する機会があり、皆さんからのご要望をぜひ聞かせていただきたい」とあいさつしました。斉藤信県議団長から、9月定例県議会に示された補正予算案の概要を説明。被災者の国保・後期高齢者医療・介護、障害者の福祉サービスの一部負担の免除にかかる市町村への補助(約一億円)や、グループ補助金(八十九億円余)、汚染された牧草・稲わら・堆肥・ほだ木の焼却処理への補助(七億円余)や全ての牧草の除染への補助(二十七億円余)などの補正予算が盛り込まれたことを紹介しました。
 参加者からは、「一度除染をしたところでも基準値を超えたところもあり、安全安心の対策を万全にしてほしい」、「被災した県立病院の再建に向けて、医師確保に対する独断の取り組みをすべき」、「仮設の校舎にエアコンの設置は当然。すべての学校へエアコンを設置することが必要ではないか」、「防潮堤も必要だが、避難路等の整備をしっかりするべきだ」などといった要望が出されました。
 斉藤県議団長は、「切実で多岐にわたる要望をいただいた。9月県議会で取り上げていきたい」と述べました。


《2012年9月19日》
岩商連が被災業者に対する支援の改善・強化を求め要望
被災資産復旧事業費補助―来年度以降も予算措置を検討


 9月19日、岩手県商工団体連合会(藤沢光一会長)は達増知事にたいし、被災業者に対する「暮らし」の再建と「なりわい」の再生を支援する施策の改善を求める要望を行いました。県内各地の民商や会員の方々20人以上が参加。県側からは、経営支援課の高橋雅彦担当課長らが応対しました。
 主な要請項目は、@中小企業等グループ施設等復旧整備補助事業において、復旧を希望する全ての中小業者に補助が受けられるように、早期に同事業の継続実施がなされ、申請に基づき補助の拡充がはかられることを急ぎ国に要望するA中小企業等グループ施設等復旧整備補助事業等の支援補助事業の対象外とされた小規模事業所に対する直接支援制度を新たに創設するB中小企業被災資産修繕費補助および被災工場再建支援事業費補助の制度について、引き続き内陸部も含め、あらためて継続実施および充実をはかることC被災資産復旧事業費補助の事業期間の延長と拡充を図ること―など全7項目です。
 グループ補助金について高橋課長は、「国にたいし来年度以降の事業継続や相当期間の繰り越し、小規模事業者に対する補助要件の緩和など繰り返し要望している。小規模事業者に対する新たな補助制度の創設についても繰り返し要望している」と回答。また被災資産復旧事業費補助についても、「土地利用等の関係で本復旧が来年度以降にならざるを得ない状況であり、来年度以降の予算措置について検討し、補助限度額についても必要に応じ見直しを行っていく」と述べました。
 中小企業被災資産修繕費補助、被災工場再建支援事業費補助の継続および内陸部での実施は考えていないとの回答でした。
 参加者からは、「一関市では半壊が2000棟以上ありしっかり対応してほしい」「自宅と店舗と借金をしてやってきて、四重ローンになっている」など切実な声が出されました。


《2012年9月16日》
岩手大学工学部同窓会一祐会創立70周年
記念講演会・式典・祝賀会開く


 9月16日、盛岡市のホテルで岩手大学工学部同窓会一祐会の創立70周年を記念する講演会、式典、祝賀会が開かれ参加しました。
 式典では、渡邊喬一祐会会長が岩手大学工学部と一祐会の歴史を紹介、昭和14年に盛岡高等工業として創立され、15年に校舎と寮が建設。昭和19年に盛岡工業専門学校となり、戦後の昭和24年に新制大学として岩手大学工学部となったと紹介しました。藤井勝見岩手大学学長が祝辞を述べ、一祐会の役員を歴任された方々の表彰が行われました。
 記念講演では、石川啄木記念館学芸員の山本玲子さんが、「歌でたどる啄木の生涯」と題して講演。貴重な啄木の写真のスライドを紹介しながら詩人・作家をめざし2度にわたって上京し挫折。郷里の渋民村にもどり代用教員となるまでの時期を啄木の歌で紹介しました。
 祝賀会では、昭和16年卒業の電気科1回生の阿部源祐さんが元気に仙台から参加し乾杯の音頭を取りました。戦争が激化する中で3カ月繰り上げての卒業だったと話されていました。


《2012年9月13日》
鵜住居を新生する会、大槌町小中学校仮設校舎を調査
グループ補助金の繰り越しを認めて―県議会商工文教委員会県内調査


 9月13日、県議会商工文教委員会の県内調査で釜石市と大槌町を訪問してきました。
 8時前に県議会前を出発し11時に釜石市鵜住居町の仮設商店街の会議室で「鵜住居を新生する会」の方々と懇談しました。この会は鵜住居地区の再生とまちづくりを担う35社の商工業者のグループで、7月末には第4次のグループ補助金(31社)が採択されました。鵜住居地区は釜石市でも最も被害の大きな地区で、死者行方不明者が約600人、住家被災が66.3%に及んでいます。31社のうち、29社が全壊、1社が全壊したが修繕、1社が施設の一部が焼失という被害状況で、3社を除き仮設施設で営業を再開しています。グループでは移動販売や介護施設への総合出張サービスなどの地域生活サポート事業、地域資源を活用した新商品開発・販売拡大事業、地域スポーツ資源を活用した活性化事業、防災まちづくり事業などに取り組んでいます。
 復興の課題としては、グループ補助金が来年3月末を完成期日としているが、区画整理事業が進まなければ本設の建設はできず、事業完了まで繰り越しを認めてほしいこと。区画整理事業の早期完成、労働者の宿舎建設のための農地転用の規制緩和などが強く要望されました。釜石市の取り組みでは、仮設店舗が13カ所221区画、被災修繕費補助事業が134件、被災資産復旧費補助が4件、グループ補助は11グループ167事業者となっています。住宅再建への支援では、かさ上げで50万円、それ以外で50万円の独自補助を検討しているとのことです。
 大槌町に移動し、おらが大槌復興食堂で昼食を取りました。食堂にはJXグループのボランティアが北海道や愛知県など全国から駆け付けていました。
 午後1時に大槌町小中学校仮設校舎を訪問しました。仮設校舎には大槌小、安渡小、赤浜小、大槌北小の4小学校、438人と大槌中学校、268人が入っています。各校長先生から仮設校舎の状況を聞きました。暑い夏は初めての経験で、教室は平均36.3℃で37〜38℃になることも。2階の音が響く、遊具がないなどの状況が話されました。小学校では被災児童が292人、66.7%、仮設住宅住まいが177人、40.4%、スクールバス通学が289人、66%とのこと。中学校では、被災生徒が181人、67.8%、仮設住宅住まいが127人、47.6%とのこと。この1年間で小学校では186人減、中学校で81人減となっています。住居・仕事がなく大槌町から離れざるを得ない状況とのこと。仮設住宅ではストレスがたまり、家庭学習ができないとのこと。それでも子供たちに笑顔が戻ってきたと中学校の校長は話しました。
 仮設校舎の教室を見ましたが、廊下と比べると教室の温度が高く、窓側の高さが気になります。子どもたちはボトルを持って給水しながら授業を受けていました。エアコンの設置が決まっていますが県教委を含め行政の責任を痛感させられました。中学校のスクールバスは、帰りは2便となっていましたが、小学校は低学年から高学年まで1便で、課外活動に支障があるとのこと。改善を求めているとのことでした。1年生が下校してきましたが、クマ鈴をつけていました。仮設校舎の近くの栗林までクマが来ているとのこと。スクールガードの人たちが下校の子どもたちを見守っていました。遺児孤児など子どもの心のケア、教職員の心のケアと住宅の確保も切実な課題と指摘されました。小中一貫校の問題について聞きましたが、校長の立場では答えられないとのことでした。十分か議論がなされているか疑問に感じました。また、4小学校が統合となれば教員の数が3分の1になるとのこと。養護教員を含め大幅な減少では教育条件の改悪とならざるを得ないと危惧されます。
 仮設校舎での生活は、あと3年は続くとのこと。子どもたちにゆとりと安心を与える教育環境の改善は急務と感じてきました。


《2012年9月11日》
久慈市、野田村の圃場整備と農地・海岸堤防被害の復旧状況を調査
農業農村整備推進議員クラブで現地調査、意見交換会


 9月11日、岩手県農業農村整備推進議員クラブの現地研修会で、久慈市と野田村の農業農村整備事業と津波被害を受けた水田の復旧、農地海岸堤防の復旧状況を調査してきました。
 8時50分に県議会前を出発。東北自動車道で九戸まで行き、久慈市に向かいました。車中で沼崎光宏県農村整備担当技監と佐々木忍水利整備管理担当課長から、県内における農業農村整備事業の取り組み状況と大震災津波からの復旧・復興の状況について、詳しく説明を受けました。
 11時15分に久慈市大川目地区に到着し、経営体育成基盤整備事業の状況について県北広域振興局の佐藤敏孝農村整備室長から説明を受けました。大川目地区の経営体育成基盤整備事業は平成13年度の事業着手し、平成23年度の完了、水田の区画整理が85.1ha、排水路や支線農道など全体で98.8ha、総工事費13億6100万円。関連事業として一般農道整備事業が1606メートル、3億8100万円で実施されています。水田は1区画30〜50aに整備され黄金色に色づき始めた状況でした。農家の状況は、大規模農家が6戸で24.8ha、農業生産法人(4戸)で27.0ha、個別農家178戸で33.3haとなっていて、担い手に十分集約されていない状況でした。理由を聞くと農家が農業機械をそれぞれ持っていて、やれるだけはやりたいという農家が多いとのことでした。水稲ロングマット水耕移植栽培法に取り組むとともに、転作は主に飼料米を行っており、たん水直播栽培に取り組み省力化と低コスト化に取り組んでいるとのことでしたが、助成金(8万円)があっても採算が取れる状況ではないとのことでした。
 
復興交付金事業で農業基盤整備事業
事業完了まで復興交付金事業の継続が必要

 
 昼食を取った後で12時20分から1時15分まで、宇部川地区農業農村整備事業推進協議会の役員の皆さんと意見交換を行いました。宇部川地区の農業基盤整備事業は津波被害を受けた野田村と今後整備をしたい久慈市分を含む地域です。復興交付金を活用して進めたいと申請しましたが、津波被災地域しか認められないとの国の対応で、最終的に早地中川を境に復興交付金事業(53ha)として取り組み、他の地域は経営体育成事業(27ha)として取り組むということになったとのことです。最大の問題は、復興交付金事業が平成27年度までの事業となっていることで、事業が完成するまで継続実施してほしいとのことでした。米以外の作物として酒米・吟おとめ(10ha)や飼料用稲、枝豆・大豆などに取り組む計画です。
 その後、野田村に向かい被災した水田の復旧状況と農地海岸堤防の復旧状況を視察しました。被災した水田はがれきを撤去し、たん水で除塩作業を行い、今年の田植えができたとのこと。水田はきれいに実っていました。農地海岸堤防は12mの高さ、津波はこの堤防を乗り越えて船まで流されてきたとのこと。しかし基本的には堤防は守られていました。津波の直撃を受けなかったのではないかとのことでした。しかし、海寄りの堤防は形がないほど破壊されていて、堤防で見えないはずのきれいな海が堤防から見えました。この堤防は14mで整備されるとのこと。ますます海が見えないことになります。


《2012年9月11日》
東日本大震災津波から1年半―被災者本位の復興を

 東日本大震災津波から1年半にあたる9月11日、盛岡駅前で被災者本位の復興を求める宣伝を行いました。
 斉藤県議は、地震・津波で県内の死者・行方不明者が5876人にのぼり、震災関連死に認定された281人を加えると6000人以上が犠牲になったと指摘。貧困な仮設住宅での生活を余儀なくされている被災者は、持ち家の再建を強く願っており、県と市町村による住宅再建への100万円の補助をさらに増額するべきだと提起しました。また、再開した事業所の6割が震災以前の半分の復旧にとどまっていると述べ、グループ補助金の拡充などが必要だと強調しました。
 菅原県委員長は、被災地が苦しんでいるときに、民自公3党は復興に逆行する消費税増税を強行したと批判。解散・総選挙では、消費税増税を強行した民自公3党に厳しい審判を下すとともに、消費税に頼らない「経済提言」を発表している共産党を躍進させ、高橋ちづ子衆院議員の再選を必ず勝ちとらせてほしいと呼びかけました。


《2012年9月10日》
衆院岩手1区候補に29歳の八幡志乃氏を発表

 9月10日、党県委員会は岩手県庁内で記者会見をし、衆院岩手1区候補に八幡志乃(しの)氏(29)=新=を擁立することを発表しました。
 菅原県委員長は、総選挙では、復興の妨げとなる消費税増税の中止をめざし、「アメリカいいなり、大企業優先」の古い政治を断ち切る日本改革の展望を語り、国民の要求をくみ上げ、綱領と政策にもとづいて活動をする「政党らしい政党」としての党の姿を訴えていくとのべました。
 菅原氏は、八幡氏は医療・福祉の職場で働き、青年運動や労働運動でがんばってきた人だと紹介しました。
 八幡氏は、「私が今回立候補を決意したのは、暮らしも経済も壊す消費税増税の実施にストップをかけ、社会保障の充実と若者の雇用問題をなんとしても改善させなければならないと思ったからです」と語り、被災者の立場に立った復興、社会保障の充実や、若者が人間らしく普通に働けるためのルールの確立をめざして奮闘したいと話しました。
 
○八幡氏の略歴:日本福祉リハビリテーション学院卒。盛岡医療生協リハビリテーション科退職(9月)、党岩手1区くらしと雇用対策部長。滝沢村在住。


《2012年9月8日》
生活困窮者の国保税負担ゼロの実現を
秋田県生活と健康を守る会の鈴木正和会長が講演


 9月8日、盛岡市のアイーナで、岩手県社会保障推進協議会・岩手県生活と健康を守る会などが主催し、「国保税減免」学習講演会が開催されました。
 秋田県生活と健康を守る会の鈴木正和会長が「秋田県における生活困窮世帯の国保税減免とたたかい」と題して講演しました。
 鈴木氏は、「秋田県の国保税課税世帯で所得が100万円以下が7割を占めている。2010年度は約2億円の減免実績で、多くが生活困窮・収入減少によるもの」と説明。秋田県と他の自治体との違いとして、全市町村で国保税条例の減免規定の準則を定めていることと紹介し、1990年代の秋田県生健会の運動で、粘り強く対県交渉を行い、1995年に県が市町村に@国保税条例減免規定の準則A同施行規則の準則B全県担当者会議開催で趣旨徹底―を行ったこと、その後96年〜98年にかけて当時の全69市町村で整備されたことを強調しました。
 鈴木氏は、2000年に介護保険制度が施行されるなど、支払い能力とは無関係な制度・負担がのしかかり、減免制度へも攻撃され、支払えない人々が増加した情勢の変化にも言及。そうした中で、宣伝や小集会、集団申請運動などの取り組みを紹介しました。
 最後に鈴木氏は、減免申請と制度改善を各地で前進させるために、「『滞納している人を探す、相談を受ける』のではなく、『生活費を削って、借金して、苦労して支払っている人々の痛みを広くつかむ』こと」が重要と主張。それぞれの市町村の国保の実態を調査・分析し、減免要求は人権の感覚で見ることが重要だと語りました。


《2012年9月6日》
災害関連死556件の申請で281件の認定―速やかに審査を
災害公営住宅―地域の被災者の入居を優先しコミュニティ維持を


 9月6日、臨時県議会が開催され、本会議で斉藤県議が議案に対する質疑に立ちました。
 斉藤県議は、災害関連死の申請・認定状況について質問。高前田寿幸理事は、「7月末現在で申請が566件、うち281件が認定され、審査中が213件となっている」と答えました。また災害関連死の要因として、避難所等におけるストレスが4割、病院の機能停止によるものが約3割となっていることが明らかになりました。斉藤県議は、県内で5876名の死者・行方不明者を出し、すでに281件が災害関連死と認定されていることは軽視できない重大な事態と指摘し、「事態を重く受け止め速やかに審査し、この分析・要因を今後の震災対応の教訓にすべき」と強調しました。達増拓也知事は、「災害関連死は痛恨のこと。防災計画等の見直しの中で、こうした原因で犠牲者が出ないよう努めたい」と述べました。
 斉藤県議は、県営の災害公営住宅の入居基準について、基本的に地域の方々を優先的に入居させ、集落・コミュニティを守るよう市町村の入居方針と調整して対応するよう求めました。若林治男県土整備部長は、「地元の市町村と十分協議の上進めていきたい」と答えました。さらに斉藤県議は、災害公営住宅一戸当たりの建設費について質問し、鉄筋コンクリート造でも内装に最大限地元の木材を活用するなどの対策が必要と述べました。若林部長は、「一戸あたりの建設費は約1540万円。従前から県産材を使っていただくよう要請しており、引き続き業者にお願いしていきたい」と答えました。

 質疑の大要については、「議会報告」をご覧ください。


《2012年9月4日》
震災前の状態に復旧した事業所は19.2%、6割が震災前の半分以下の復旧状況
グループ補助金の継続・拡充で被災中小業者へ支援を


 9月4日の県議会・商工文教委員会で斉藤県議は質疑に立ち、被災した中小業者の再建について取り上げました。
 斉藤県議は、再開した事業所のうち、「震災前の状態に復旧した事業所」が19.2%、「半分以上復旧した事業所」が39.5%となっている現状を示し、「6割が震災前の半分の状況にさえ復旧しておらず、ここに被災事業者の深刻な実態がある」と指摘。「どう最大限再建を支援するか」、「再建の中身を早く震災前までの状態に取り戻すように支援を強める」ことの両面で対策を講じていく必要があると強調しました。
 斉藤県議は、事業費の4分の3を補助するグループ補助金について、「画期的な制度だが、岩手県の第4次公募でも採択されたのは半数程度で、申請件数に対して枠が小さすぎるのが課題」と指摘。日本共産党の被災3県県議団の政府交渉で、柳沢光美経済産業副大臣が「グループ補助事業は継続する」と答えたことを紹介し、申請に見合った規模にするよう県としても強く求めるべきと主張しました。経営支援課の松川章総括課長は、「復興に有効な補助金であり、申請件数も多数ある。国に対しては事業の継続・増額、要件の緩和など適宜要望している」と答えました。

 質疑の大要については、「議会報告」をご覧ください。


《2012年9月1〜2日》
原発事故の被災地・飯舘村を現地視察
全村避難から1年余―沈黙の村


 9月1〜2日、原発問題住民運動全国連絡センターと原発問題福島県民連絡会が主催した飯舘村の現地視察バスツアーと全国交流集会に参加してきました。全国26都道府県、360人が参加しました。
 1日の午後1時、福島駅西口に集合し、大型バス4台で飯舘村に向かいました。福島駅西口の放射線量は0.4μSv/h(地上1m)でした。途中川俣町の道の駅で休憩を取りました。ここは0.6μSvでした。飯舘村に入ると、田畑は草ボウボウ、家々のカーテンは閉められています。緑がいっぱいの美しい村は無人の沈黙の村でした。1時間半かかり飯舘村の役場前に到着。役場前の放射線量は除染されていることもあって0.7μSvでした。ところが、除染された残土袋が置かれている役場裏の仮置き場は30μSvを超えるところもありました。飯舘村は今、帰還困難区域(年間積算50mmSv以上)、居住制限区域(20〜50mmSv)、避難指示解除準備区域(20mmSv以下)に分断されています。
 
原発事故・放射能汚染で村民が分断される
原発でぼろもうけしたゼネコンが除染事業でも

 
 飯舘村役場前で日本共産党村議の佐藤八郎さんから話を聞きました。佐藤村議は、大震災津波の直後には南相馬市から1610人が飯舘村に避難してきて、食料や水などのお世話をしたとのこと。飯舘村(役場)は福島第一原発から40q離れており、原発事故とは関係ないと思っていた。しかし、飯舘村の放射線量が高いことが後から分かり、住民が不安にかられ避難する村民も出たこと。政府が飯舘村を「計画的避難区域」に指定されたのは4月22日、村長が全村避難を正式に決定したのが5月13日です。こうした中で県のアドバイザーとして長崎大学の教授らが「年間100mmSvでも200mmSvでも大丈夫」という「洗脳教育」を徹底して行ったと告発しました。飯舘村は2年以内の帰村をめざして除染の取り組みを重視して、400人による「見守り隊」の取り組みや8つの特養ホームや事業所の事業継続を認めていますが、村民の中には放射能汚染で危険なことではないか、避難が遅れたのではないかなどの声もあり、村民が分断されている状況だと話されました。また、ゼネコンは原発建設で利益を上げ、今また除染事業で20年間で3200億円以上の利益を上げようとしていると指摘しました。
 飯舘村のミートプラザによってきました。以前は一番賑やかな場所だったということですが、ブランド牛の飯坂牛も3000頭いましたが、和牛農家は180戸のうち169戸が廃業したとのこと。原発事故でふるさとも農地も産業も失った姿を見ました。
 午後6時からは福島市内のホテルで交流会が行われました。北海道から鹿児島まで全国26都道府県から160人(人数制限)が参加しました。全国から参加した方々がそれぞれあいさつしました。
 
被災地からの訴え―1日も早く「普通のくらし」を取り戻したい
「避難した人」も、「福島で住み続けている人」も、その選択が尊重されるように

 
 2日目の9月2日には午前10時から、「原発事故1年半 鎮魂と希望をめざす全国交流集会」が開かれました。
 現地からの報告で、ふくしま復興共同センター放射能対策子どもチームの佐藤晃子さんは、福島市内の比較的放射線量の高い渡利地区に住んでいるが、昨年3月19日から4月4日まで夫を残し夫の実家のある岩手県に避難したこと。しかし家族で一緒に暮らすことを選択し福島市にもどったと述べました。その後は、夏の暑い日でもマスクや長そで・長ズボンの生活、教室は窓を開けられず、屋外活動は制限された。体力の低下やストレスなどの悪影響が出始めていると述べました。避難に対する考え方で様々な意見や情報があり、地域や学校、家庭の中でも、大小さまざまな分断がもたらされたと訴えました。子どもチームでは、「避難生活」も、「福島に住み続けること」も、どちらの選択も尊重されるようにすることを求め、18歳以下の子供の医療費無料化などの署名運動に取り組み、2月に12万筆超を国会に提出。県の事業として実現させたと報告しました。1年5カ月がたって、今思うことは、「さまざまな調査結果を見ながら、少しほっとしたり、生活の仕方を見直したり、マスコミ報道によっても一喜一憂の日々だ」「一日も早く、普通の暮らしを取り戻したい」と訴えました。
 
9割近くが村から1時間以内の所に避難―菅野典雄飯舘村長
放射能のリスクと生活のリスクの両方を考えて

 

 菅野典雄飯舘村長は、以前の日本は世界一安全な国と言われたが、危ない国になってしまったと効率一辺倒、スピード、お金がすべての国のあり方を指摘。スローライフ10年計画を「までいライフ」として、自主自立のまちづくりを具体化し、7年目で原発事故に遭い全村避難を強いられたと述べました。
 全村避難では、政府からは長野県などの避難先を紹介されましたが、独自に避難先を探し、村から1時間以内の所に9割近くの村民が避難しているとのこと。「放射能のリスク」と「生活のリスク」をどうバランスを取るのか気を配っていると述べたことが印象に残りました。それでも1700世帯だったのが3100世帯に家族も分断されているとのこと。菅野村長は、放射能汚染・原発災害について、普通の災害は心が結束するが、放射能災害は心を分断すると指摘。異質の災害であることを厳しく指摘しました。
 原発問題住民運動全国連絡センター筆頭代表委員の伊東達也氏が、「問題提起―住民運動の諸問題を考える」提案を行いました。
 午後からはシンポジウムが行われました。阪南大学前学長の大槻眞一氏は、福島原発事故に関わる4つの事故調査報告書の内容と問題点を指摘。事故は収束しておらず、原因もまだ明らかにされておらず、継続的な調査が必要なこと。事故が人災だったことを強調しました。また、政府と電力会社などが原発の輸出を進めようとしていることが、安全無視の原発再稼働の理由にもなっていると指摘しました。
 新潟大学名誉教授の立石雅昭氏は、福島第一原発事故で、4号機の燃料プールが震度6強の地震に対応できるのか疑問があると指摘。抜本的な補強をしなければ、燃料プールが崩落し、大気下でメルトダウンする危険があると述べました。東北地方太平洋沖型の今回の地震から、東海・南海連動型の巨大地震の可能性が高いと述べ、それへの対応・備えが必要と述べました。原発施設の直下の活断層が見逃されてきたことについて、2006年改訂された「耐震設計審査指針」に沿ったバックチェックで十分再検討されていない問題を指摘。住民自身による調査・分析が必要と述べました。また、福島の実態に学ぶことが運動の原点だと強調しました。
 日本大学准教授の野口邦和氏は、原爆が投下された広島市と比べ、今回の原発事故による放射能汚染は、放射性物質の放射能の絶対量が原爆よりはるかに多かったと指摘。大気中の7割が海に、3割が陸に降り注いだ。外部線量を下げるためには、まずは学校の校庭、幼稚園・保育園の園庭の除染を優先し、地域社会全体の除染を進めるべきと述べました。そのためには仮置き場を早期に決定し設置すること。この間の除染に関する情報を共有することが必要と述べました。また、優先的に除染すべきは現在住民が住んでいる中通り地方の居住地域で、避難地域は空間線量がもっと下がってから除染すべきと指摘しました。南相馬市立総合病院のセシウム検査データでは、98%が不検出となっており、検出された場合もかなり低いレベルだと述べました。
 日本原子力研究開発機構労働組合中央執行委員長の岩井孝氏は、組合員アンケートでは、「原発を早くなくす」が9%、「徐々になくす」が40%を占めたこと。労働組合として「拙速な原発運転再開に反対する」声明を出したことを報告し、原子力関係機関で働く研究者・技術者の間でも取り組みが進められていることを述べました。
 その後、会場から質問や意見が積極的に出されパネリストの方々が丁寧に答えました。
 最後に、「福島からのアピール」を参加者全体で採択しました。
 二日間の現地視察、全国交流集会を通じて、原発事故の異質の深刻な被害とまだ収束の見通しが立たない現状、原発事故の当事者である東京電力の不誠実な対応と政府の対応の問題、分断されている住民の中での運動の困難と様々な工夫と取り組みなど学ぶことがたくさんありました。福島でもあくまでも被災者の立場に立って、寄り添って解決することが求められていると感じてきました。