●日本共産党岩手県議会議員(盛岡選挙区・8期目)・県議団長
(文教委員、地域医療確保対策調査特別委員)
●日本共産党岩手県委員会副委員長
1951年1月13日
北上市生まれ。(実際は盛岡市住吉町の母の実家で産声をあげる。)
1957年4月
北上市立黒沢尻小学校入学。(のちに黒沢尻東小学校に分割。)
1963年4月
北上中学校に入学直後に大船渡一中に転校。(父親の転勤。父七郎は県立大船渡高校校長をつとめる。)大船渡一中時代は卓球部に所属、中体連6連覇をかざる。
1966年4月
県立大船渡高校入学。卓球部で県高連団体優勝。個人でも5位となり、広島インターハイに出場。
1969年4月
仙台で1年浪人生活を送る。初めての青春の挫折の体験が社会と人生に目覚めるきっかけとなる。
1970年4月
岩手大学工学部機械工学科入学。1年生で教養部自治会委員長。その後、自治会連合委員長など学生の要求実現の運動に取り組む。現在の同袍寮・自啓寮の新寮建設は当時の運動の成果。授業料値上反対、安保条約反対でストライキなど運動の先頭にたつ。
1975年7月〜76年7月
全学連(全日本自治会総連合)の副委員長として東京生活、北大、静大などに足を運ぶ。機関紙”祖国と学問のために”の編集責任者として毎週徹夜の奮闘も。東京生活でも製図版をもちこんでしっかり勉強もしていた・・・。
1977年4月
大学卒業とともに日本民主青年同盟岩手県委員会の専従に。
1978年
日本民主青年同盟中央委員、岩手県委員長として青年運動に没頭。
1981年
日本共産党岩手県委員会勤務となる。
1982年
参議院選挙岩手県地方区候補として奮闘。その後、衆議院選挙に2度挑戦。
1986年〜
党県政策委員長、自治体部長として横田綾二前県議の活動を支える。
1995年4月
県議選に立候補し、初当選。県議会の「速射砲」の異名をとり、丹念な調査と鋭い質問で県議会に新風を送る。
1999年4月
県議選2期目の当選。
2003年4月
県議選3期目の当選。
2007年4月
県議選4期目の当選。
2011年9月
東日本大震災津波で延期された県議選で5期目の当選。一関選挙区で高田一郎さんが初当選を果たし、県政史上初の複数議席を獲得。県議団長として、被災者の命とくらしを守る大震災津波からの復興、くらし・福祉最優先の県政めざし奮闘。
2015年9月
県議選6期目の当選。1人はみ出しの超少数激戦の中、第3位。一関選挙区で高田一郎さんが3位で再選、奥州選挙区で千田みつ子さんが見事トップで初当選を果たし、日本共産党は2議席から3議席へ歴史的躍進を果たす。
2019年9月
県議選7期目の当選。新人5人、3人はみ出しの大激戦の選挙戦を勝ち抜く。高田一郎県議(一関)、千田美津子県議(奥州)の議席も守り抜き、3議席を維持。
2023年9月
県議選8期目の当選。主要政党がすべて立候補する大激戦のなか、前回より1300票増やし5位。